ケ・セラ・セラ

子ども君、朝起きたら、顔を洗う僕の足元をまとわりついたりして、ほっとして涙が出そうです。

居間に小さな机を置いて、土曜の朝、子ども君にテレビの番をさせつつ、ブログ更新しようかなとも思ってましたが、いや、子供が起きていない朝早くに読書する机が欲しいはあるけど、どうしたもんか。今の時間が大切です。


で、なにを置いても代わりのないものってありますか。譲れないもの。

それは、家族で会ったり、健康であったりするんでしょうけど、でも、何となく、大病を患った身には、いずれ失うものぽくも思う。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

ニーバーの祈りが僕の隠れモットーです。

変えられないものをそうとわかる賢さなんて、神様でないとわからない。

静穏に受け入れようとしても、心の動きは制御できない。

悶え苦しむことだけしかできない、でもそれが私の人生で、それを味わうことこそ、私だけの特権だろう、

と、まだ、絶望していないから言うことができます。

とティリヒの勇気はどこからともなく湧いてくるっぽいのにも関心はあるけど、一回全集(?)あとがき読んで放り投げたんだよなー

トラヤンも読みたいんだよなー

やっぱり不条理と向き合った経験を語るなら宗教本が一番だよなー

と、不条理は私のテーマです。


と、昔の小学校から肉体労働で働くんと比べたら、我が身のありがたさが染みるやろ、と言ったら、今は21世紀の日本だし、と返されたんす。

感謝の念て、当たり前やと思ったら湧いてこないというか、当たり前が何と思うかってどうでっしゃろ?

ワクワクと未知

実は連休中我が子と相方は相方の実家に行っておりました。

したら、帰ってきて我が子がおいらに抱っこされると泣き叫ぶ。

いや、先週、妙になついてないなという伏線はあったけど、我が子相手に少しづつ距離を詰めるって、ちょびっと悲しいです。


35独身、もうそろそろ結婚難しくなる年頃の男性がいる。

その給料では、でも定時に終わる仕事なので、家事をまじめにやります路線でひっかければ、と言っていたのだが、それからも料理してないぽい、

というか、高知新聞の夕刊に男の料理教室の紹介が載っていて退職おじさん中心ぽくもあったが、信頼されて娘の紹介を狙うのありじゃねと、やってみればと言ってみたが、食いつかず。

女神の前髪は、でもないが、きっかけをひとずつ、潰していったら、そりゃ変化もないやろ。

というか、「40歳独身、この先の展望がありません」
https://marisol.hpplus.jp/article/24708

っての見つけて、うん、みうらさんの言う通り、不安のなくなることはなし。

今、お金の心配がなくとも、交通事故にあう可能性はある。

30年前は冷戦、70年前は戦争。

今は超インフレがかくしゃしているけど、日本政府は他政府と違って、自分ちの財産をその計算に含めていない説はある。

あと、これから人口減で不景気になるので、住宅ローン上がるの?みたいなのもある。

そうなる可能性、ならない可能性、どっちにも理屈があって、どっちに転ぶかはわからない。

現在の時点では。

リスクに備える、というか、案ずるより産むがやすしというか、あんまり想像した悪いことが起こらないといえば起こらない。

もちろん起こるときもあるけど。

可能性だけで言えば、料理教室に行って悪いこと、起こるんだろうか。

何が起こるか分からないワクワク感が私は大好きです。

と、商品を売るには、お客様のメリットを言うというか、それを使うことによってお客様の生活がどう変わるかを訴えるというか。

代り映えのない生活を変えるには引っ越すとか転職するとか環境を変える。

ルーティーンを少なくすれば、良い。

と、美術館に行って、生きる価値ネタが増えたぞ、うふふ、というか。

最悪のことは起こるか分からない。

起こるかもしれないということをむやみに恐れて、起こらなかった時のメリットを享受しないのはどうよ。

と里親ネタっす。

未知は怖いっす。

でも未知に突っ込まないと、ワクワクもしないつか。


お金はあるに越したことはない。

でも東京では9時帰りで早いとか。

お金を稼ぐのと、労働時間とトレードオフが成り立つわけじゃないだろうけど、一定、そうなると考えたほうが良い場面もあって、

つらいからお金を稼げるのと、自分の人生をどうしたいのか。

短くとも充実した人生か、長くて生きながらチューブにつながれる人生か、

人生の選択で。

諦める言い訳、もっともらしさは必要とされて。

自分の人生ならまだしも他人の人生を預かるって重いっすな。

でもそれも人生の選択を自ら選べるってのも恵まれた人生で。

て、僕、というか、病気すれば、なんというか、自分の意志ではどうにもならないものがあるのが分かるというか、

転勤族だったから、人との関係は変わっていくものと思っているというか、

ある程度、不条理を飲み込む、思い通りにならない人生を肯定して、思い通りにならないのなら思っていない良いことも起こるというか

花畑牧場、投資に投資して、それでも当たるのは偶然で、でも投資しなければその未来もなくて。

三浦さんの人生相談、イラストが良かった?辛酸舐め子さんなんだろうか?

見返りを求めず他人に与えることと精神が安定するって、

関係がなければつまんないということでしかないのか?

喜ぶ姿を見たら嬉しくなるのか?

自分の財産を失ってそれでも残る人間関係はあるのか。

財産のあるときに考えてもしょうがない。

自分の嬉しいことをしていく。

嬉しいことをされるってハードルが高いか?

他人は運命はコントロールできない。

自分ができることを淡々としていく。

人生が変わるような嬉しいことはそんなに起こらないけど、ふっと楽しくなる瞬間がないってどういうことなんだろう?

曼珠沙華が咲いた。きれいだ、で幸せになれないものなんだろうか?

朝挨拶をしたら返してくれた、で嬉しい。

と漫画見ていたら、挨拶をしても返してくれないって鬱になるのあったけど、他人の問題は他人の問題、私がどういう人でありたいのか、私がどういう選択をすることだけは選べて、選択ができるのはありがたいことっすと感謝の念っす。

いつでも楽しいそうなら人もよってくるだろうか

殺すことと救わないこと

昨今のネットだと、優生主義は悪、で終わるんだが、実際の歴史を見ると優生主義は福祉国家に根を持ってるとしてもいいパラドックスがある。

例によってベントさんっす。極東ブログで優性主義の講談社新書紹介していて、買ったけど積読っす。

お金をつぎ込めば、生きることが可能になった。

技術としては生き続けることができて、スウェーデンが寝たきりの人は死なせているから寝たきりの人がいないんだっポイのを読みましたっす。

生体移植とか、何をもって死とするのか。

人間とは何か。人間でないものは人間のために犠牲になってもしょうがないか。

ロッコ問題でスイッチ切り替えができなくなる点は、民族によってさまざまだったか、命の軽重を付けるとは究極的には個人の価値観でしかない。

共通点を見つけ出すのは無理なんだけど、政府としては健康保険、限界点は持つべきか?


金玉さんが、友達が生きる価値なしと言ったら、否定する、だったら自分の価値も肯定できるっぽく書いていたような、

じゃ、見知らぬ他人が生きる価値なしと言ったら、根拠は持ってきづらいかな?

誰かにとって誰かが大切な人と言う輪っかがあって、輪っか同志は遠くても、輪っか、仲間はいるとしたもんか、8050の引きこもりか。

何もない虫が階層を作って、全体に及ぼす影響は小さくても数が多ければまとまって役割が大きくなるっポイの、

大勢の人を知っていて少しづつ負担をかけたら、大きな負担にならずに大きなメリットが享受できるっすか。

知り合いが多いって武器っすね。

引きこもりというか、橋本治のちくまの連載見たら、承認欲求て、大人は、面白くないことばかりで普通ヤンというか、

青空人生相談所の世間は傷つけようとする力ばっかりを思い出す(?)

てか、班長に僕が仕事に自己実現を求めている点を指摘されて、そら、あなたはだいたい仕事がこなせるからいいだろうけど、僕はできないものはできないので得意分野(もあるんだか)で勝負したい(という時期も年食って過ぎたけど)。

いや、僕給料泥棒だよなーと悲しくなったりもする。

愛があるって重い関係望むのっぽいようなツイートも見かけましたが、大人になって褒められることもない、相手のことをおもんばかって会話も選ばなきゃって、

僕の話したいことが相手の喜ぶことと気にせず話せる場があれば、明日も頑張れるかな(チラッ

(と、うちは生活時間帯が僕は朝型、相方は夜型なのよね、いいけど、じーじは仲が悪いのか心配しているようだけど、僕としては仲よろしいと思ってます)

疑うべきでないとするか、信じると決めるものがあるのは強いというか。

誰かにとって大事な人、お金の制限はあって。

選ぶ人も直接見ないからできるとするべきか、だれだってそんな役割は嫌っす。

でもその金があれば他の貧しい人に教育をということかもしれない。

七平やんが一人の命は地球より重いという言葉に突っ込んでいた。

許されるならば、というか、その言葉に突っ込んだら、炎上するだろうか。

そう思いたい建前はある。

被虐待児はつれてこい、世話をしてやるっぽいの、うち、子供は3人欲しいし、けど無理っすねというわけで里子のことも相方には話したが、そういうことは子供のいない人がすることらしいっす。

人の人生を預かるってことは、こちらの命を差し出す覚悟もいるっすかね。

正論っす。

正論っす。

一人の命は地球より重いっすか。

正論っす。

人と人とが暮らすとき、建前から零れ落ちるものを拾う、そういう役割があって良し。

建前が正論となる。

否定はできない。

自分には大切なものがあって、それを差し出さないことには正しいことはできないって、まあ正論っす。

人の命がかかっているのなら、それなりに自分が貧しくてもよしか、と、自分の命を差し出すことの距離というか。

自分の命を差し出すのは、同情を引くものだけなのかっていえばそうっす。

自分の大事なもののために命はあるっすと言えば、そうっす。

正義っす。正論っす。自分の大事なもののために見捨てるとは言いづらいっすが。

最悪の事態を考えるのが大人で。

お金で買えない家庭で。

鋼の錬金術師の等価交換の法則って、ままあるとは思ってます。

でも、そうでないから人生はわからない。不条理は転がっている。

終戦後、38度線を越えるためにひそかに行動しなくてはいけなかった。

我が子の赤ん坊を殺さざるを得なかった父親とか。

いや、極限状態を避けるために全力を尽くさねばならぬと思ったっす。

少しのものをみんなで奪い合うようなことはまずいっす。

思い入れのある親を病院でうめくようになるだけであっても延命を拒めないか。

責任は負いたくない。

出口さんは年寄りは若者優先で最後に沈む船から脱出するように言っていて、未来があるってどういうことだろう。

優性主義的に人から未来がないって言われるってどういうことなんだろう。

生産性がないって、多様性ラブで様々なことが許されるようになって、多様な視点があれば新しい変化にも対応しやすいであろう。

誰かが当てるか。

役に立たないってどういうことだろう。

今の主流でない。未来の主流になるかもしれない。

孫を見ることはない、ダウン症の我が子を持つと。

可能性がないとはどういうことか。永遠にこのまま。

変わる可能性がない。

確率を評価する。

大きなリスクに備えることは必要で、奇跡はたまにしか起こらない。

けど起こることではある。どこかで。

奇跡の起こらない我が人生。(いや、僕には起こってるけど)

最低限でも食ってくことのできる人生、我が子を女郎に売らずに済む人生。

何かと何かを比較してこその人生で。

ナチスほど殺されはしなけど、知的障碍者は刑務所しか居場所がないのか。

刑務所に送る代わりに僕らは何を得たのか。

トラブルのない快適な人生か。似た者同士でくっついて安寧を得るか。

不愉快を我慢できないか。

日本って今のところオプシーボ承認して、もう保険は限界や言われて、選らび、選ばれるようになるんだろうか。

金があったら生きられるのか。

他人からいらない言われて、世間は傷つけようとする力で満ちていて、生きることも許されないか。

地球より重い命、地球より軽い命、代わりのある人、代わりのない人。

誰にとって代わりのない人。

不条理はあって、ずっと難民でいるより、新しい国になじんだほうが良いか。

新しい人生に切り替えたほうが良いか。

殺すことと、救命しないことの違いっすかね。

すくえる命。お金があれば救える命。

ブラックジャックに渡す金は借金してか。

自分の何を差し出して救うのか。

自分のものは差し出す覚悟がないのかって、おやじが難病なんだが、今は症状軽いからいいけど、重くなったら未認可の薬使う気満々で一回にン十万飛ぶとか、

まあオヤジの稼いだ金だけど。

孫の大きくなるのは見たいよねー

と、人それぞれトロッコを切り替える点が違う話でした。

信じる者は救われる

おいらさん、今直属の上司が日本最高峰の大学の法学部卒なんす。

けど、みんな自分ほどよくできるわけでないことはわかってらっしゃるので、楽っす。

(いや、ほら、色眼鏡つらいと書いたけど、なんかほどなく回復しました。

それなりに手は打ちましたけど、心根が良い方というか、あんまり人に期待していないのかというか)

で、いろいろ、仕事の仕方の指摘をば、って具体的に書かないけどさ、おいらの仕事の優先順位付けられないのは普通でないのかなーとか、

あと、考察書いておいらは自爆してるっすが、その指摘がへーこう考える過的にすっげー楽しいっす。

馬鹿なこと書いて、ではあるし、ほかの部下は評価下げ狙わず、実は考察、口に出してないんだけど、楽しーのでいいです。

仕事は基本楽しいし、と、でも今は人と接する仕事でないのに、楽しいのは、おいら、人からの評価が楽しいタイプでなく、自分の中でやることやっていたら大きな満足えられるタイプだったのかとか。

という訳で、人生の中で仕事の優先順位は下がっていますが、手を抜いているわけでなし(家で仕事の勉強してますし、本も感想は書いていないけど、黙々読んでるし)、

残念ながら、馬馬車のように働ける、時間を無尽蔵につぎ込める時間は過ぎちゃったけど、決められた時間の中では全力出します、です。

このまじめな文面の性格で、手を抜けるわけないっしょ☆と言い訳わけ、でした。

あーでも、いざその立場に立たされると、時間無制限やっちゃうんだろうな、も見える、、、


で、人の性格、求めるもの、ってそれぞれだよねつか、「バクノビ」、エゴグラム使って性格類型分けるのかっポイの、

自分は完全に1型で正義を求めるのでふ。

もう本能で、どうしようもないっす。

で、信じるものが欲しいんす。信じたいんす。

まあ安心したいのはだれしも同じかな?

というか、僕、正義が行われたら、自分なりの満足できる正義のラインがあるので、自分の税金がパチンコに使われても腹立たないっすね(年収800万全くないけど)。

共同体って最近また復活しているのかって、佐々木さんだったか、70年代生まれはダメだけど、80年代生まれ以降はシェアハウスに住みたいユーの、ああ、僕も住んでみたいっすなー

まあ人からの評価(褒められるの)あんまりなくても平気っぽい僕でしたが、自分を認めてくれる場所、なくて不自由とも言いませんし、

あればそれなりに(フリーライダー嫌いというのもあるし)貢献はするっしょうね。

何かを貰うから何かを与えるって、「影響力の武器」応報の気持ち(すまん正確な言葉忘れた)って人間の本能っすよねー

聖人ではないけど、与える一方は耐えられないけど、小さいころに与えられて、アイデンティティかなー

与え返すのを当然、疑いのないものにするって、なんだろ、光文社新書の本で、中国人の一部で世界中にネットワークがあって、一族に不利益をもたらしたら、死ぬしかないっぽい一面もありましたが。

「知性は死なない」でソ連が滅びたの、ソ連のお題目的に小さい国からも偉い人を選ばないといけなかったけど、人数の多いロシアがそれに耐えきれず嫌や言うたンで、連邦が崩壊したと書かれていたっす。

なんか、アイデンティティがどこにあるかで、負担に耐えれるかどうかが決まるっぽいの。

ナショナリズムと言えばそうなんしょうがって、世界の警察アメリカの無邪気な正義感は批判されたりもしたけど、どこで醸成されてたんしょ?

自分を犠牲にしてでも守るべき価値観って何なんしょ?

世界をそういうものと思って疑いないってどういうことなんしょ?

子どもでもない、大人は疑うことを知っているし、従うメリットが大きいということになるのか?

従わないデメリットの大きさを測れれない(転職って環境を変えるの勇気いるよね)状態にするってどういうことっしょ?

革命って何なんしょ?

中年の憂鬱

自分語りから始まりますが、途中から、システムの革命とは何かって考えてます。

【追記】×2です


というわけで中年の憂鬱である。

労組の会に出たら、鬱になって帰って来た。

朝の3,4時帰りとか、もち、執行委員会の時期は日を跨ぐとか、いつの間にかやめているとか、職場で倒れたりとか、怒鳴る人とか、

一方である班は7人中半分の人が夏季休暇全部取りましたって、ホンマ、ロシアンルーレットである。

兄弟の仕事場の話を聞くに、ホワイトな職場ってないよねっポイ感じでしたが、いつでもやめれる退路は構えていないといけない感はありました。

あと、30の人はわからないだろうが、60になると物忘れが激しくなる、70まで務めるの無理とか。

うおー俺の憩いのもにょる時間ーーーは今のうちに楽しんでいないといけない感じです。

おいらの人生の第一は家族、それから趣味、それから、いざというときの退路確保の時間、かなー

農地買って週末農家しようかなー

自分への投資かなー


と土曜ここまで書いて子供が起きたので、ってそれから一日考えて、何となく、今後の方向性は考えて気が済んでっと。

システムというのは、極言するとそれ自体の意識を持つと言ってもいいのだろう。つまり、システムは自殺可能。というか、自殺要件がシステムを特徴付けるのではないか。

理想国家は理想民族国家に転じるのでどこかに奇妙な妥協点があると思うがこの思索の道具がリバタリアニズム

国家内の再配分を適正化するほどナショナリズムが随伴すると思うけど。

とまたベントさんからお題を貰った形になりますが。

タイタニア(4巻読んでない)で、タイタニア(支配階級)の中で、((悪い)支配者から(良い)支配者に)変わるだけっぽいせりふがあったような、システムの持続性とは何だろう?

明治の改革で、徳川家から変わったのか、天皇家は変わらないのか?民衆の心根が変わるってどんなところだろう?

システムが変わる点って何だろう?

価値観が変わる、プラスからマイナスではなく(同じ物差しの左右)ではなく、物差しが使えない、混とんとする変化、革命になるのか。

誰の意志が通るのか(権力)、誰が利益を貰うのか?

労組の会で、日本はアメリカに次いで格差が大きいって、おいらは格差があってもいいけど、絶対貧困はまずい派であって、

今の価値観で偉い人には偉い利益があって、えらくない人は生きるがせいぜいということになるのか。

生きるって何か。

なんちゃってリバタリアンとしては、物乞いとして(?)与えられるような、言うことを聞いたら福祉が与えられるのか、言うこと聞きたくない自由で、どの程度、福祉が与えられるのか。

なんちゃって健康人としては、貧しくても好きなことしたいというのはあって、リスクを選んだら当たったら大当たりがうれしいのか。

アメリカっすね。

生き方が選べるのが良し、ということではあるんだろうが。

で、民族つか,わかる。

僕が稼いだ金を何をもって見知らぬ人に与えるのかって点は。

僕はコスモポリタンになれないなと思うのは、身近な人から幸せになってもらいたいと思うことである。

お金は有限であるのなら、とりあえず身近な人からって、移民な人が来て、目に入ったら、働けなくなったら本国送還にはならないのか、

ある程度なら面倒は見れるけど、プチっと来る点、まだわかんないけど、治安が悪くなったらって、福祉がないのとあるのとどちらが治安が悪いのか、

日本語教育もちゃんとしないといけないやん、韓国見習って制度作ってくれーと、半端な知識では言うことでもできないけど。

おいらんちの勝ってるナマズ君、ちょっとしっぽが曲がっているのである、でも気にしていない。

人間の本質とは何か、骨折は同じ、でも精神病は違う?精神病が好不調の波があるらしいが、どこをもって?

あるいは重度の知的障害で意思を表すこともできないのか、ナチスる?

生物の条件は親と同じ遺伝情報を持つ子ができることとか、あれ、3つあったけど、自ら代謝あったっけな?忘れた。

実は3つが3つとも当てはまる種はいない。

子どもをうめれない人っているしな。

どこまでの人を助けようと思うのか。

目に入ったらしょうがないのか、血統主義で、血がつながっていると思えば抱き合えてお金も渡せるのか?

資源次第な面もあって、お金は無尽蔵でない。

あれ、システムって何から、利益の配分方法かなー手考えたら、こんなところまで流れ着いてしまった。

お金と権力と自由の流れ方がどう変わるのか?自殺、自ら壊れる点があるのか?

維持が目的になるのか、何をもって維持したとなるのか?

何となく区切りが悪いような気もするが朝食っすになったので。


【追記】

この流れではナチス賛成派になってしまうような、

ちきりんさんがアメリカ行ってお金があると障碍者が外に出やすい街づくりになるネタ、ほかでも見たっす。

まあ年収も800万超えないと、払った税金ともらった税金分とで言うと、貰った分が多いと聞いたような、

血族に投資するのはいざというときに自分も助けてもらえる確信がある、与え与えられてを当然と思う。

与えられることの見える化って何かというか、

与えられなくても与えるとはなにか

分断と包括と、包括とはッて僕のテーマっす。

うーん、資本主義の失敗っぽい本追いかけたほうが良いかなー

パターナリズムと革命

Twitterとか見てると、安倍首相にフォーカスした単純な思考を散見しがちだけど、実際の現代社会の政治は高度に知的な官僚制を要してその最低条件的制約があり、これが他方、リバタリアンパターナリズムの実質的根拠になってる。この仕組みを内包しないと、実は思想の水準に達してない。

PSYCHO-PASSBEATLESS で示された統治の高度知的自動化の問題は現在日本の官僚制の潜在的な問題の比喩になっているのです」とかTwitterで呟いても通じないでしょ。じゃあ、これをどう説明するかなんだけど、作品論に帰着させず、時代潮流や社会通念に還元しないなら、どうするのってこと。

例によってベントさんです。リバタリアンパターナリズムかって、今、辞書に刻まれた言葉ですが、不幸を見過ごすことができるのか、

身近で悩んでいるのは子供の教育をどうすっか、子供が声優学校に行くと言ったら応援できるのか、ジーと考えているすが。

まあ、おいら国公立の大学に行けないレベルって書いたこともあるっすが、今時国公立ってつぶしが利かないほうになるのか。

おいら、タバコ吸ってもいいけど医療費を自分で出してねと書いたように、どっちかつと、リバタリアンで、パターナリズムてか、人の人生に責任持ちたくないほうなのだっす。

好きにすりゃいいじゃん。

自分も人から進む道を示されたくないしなー不幸だとわかっても進みたいほうだし、他人に強制とかもしたくないっす。

で、子供の教育はとぐるぐるするっすが。

大事な人に、大事な人ができたときに、不幸を享受させるのか。

でも、人の行動に指示するって、その後の人生を丸ごと引き受ける覚悟はあるのか、って問われるすよねー

まあ他人を否定する人をどこまで許容する文化を作るのかって、ちょっと心の隅にというか、人を批判する自由はあって、拒絶はしない文化ってなんだろ?

あなたは嫌いだが、あなたを黙らせようとする人がいれば抵抗しますよ、って、ナチスを肯定したとしても?

でもあなたが正しくないのなら、あなたも批判を受ける、議論の場は作ること、なのか、場ってなんだろ?

議論に値しないこと、自分にとっては、でもその人にとっては大事なことで。

しんちゃんなら、システムを設計すること、とかいうかなー

なんとなく、雰囲気を作る。

選びたいほうを選ばせる。

選ばせたくないほうには軽蔑の目をとなるか、ほかに方法はあるか?

社会の合意、医学部はきついから、男子が選ばれて当然か。

当然と思わせるのと、思わないのが当然か?

泥棒にも三分の理、両方に正当性がある。

みんながどんな社会にしたいのか。理想と現実と、現実を変えていくのと。

現実を変えるのは、パターナリズムでは済まないので、おいらパターナリズムが好かないというのはあって。

ディズニー映画は現実より0.5歩だけ進んでいるのか、歴史は英雄が動かすのか、民衆が動かされるぐらいには成熟していた(?)のか。

進むべき方向の芽があればこそ、少しづつしかよくならない。

同意のない方向に動かないのなら、パターナリズムが成立するのか。

革命とは何かになるのか?

日本の正社員男子で革命起こしたくなることはない既得権益で、片親家庭の貧困率は革命に値するか。

理想とは何かっすか?持たざる者のってマルクスか。

不満のない社会はないとして、それでもよりよさを目指すとは?

パターナリズムを押し付ける側も常に問われる、安全圏でなしか?

絶対権力は腐敗する。

自らの過ちを知るシステムっすか。そんな安全圏はどこにもないのか。安全圏なのか。