パターナリズムと革命
Twitterとか見てると、安倍首相にフォーカスした単純な思考を散見しがちだけど、実際の現代社会の政治は高度に知的な官僚制を要してその最低条件的制約があり、これが他方、リバタリアン・パターナリズムの実質的根拠になってる。この仕組みを内包しないと、実は思想の水準に達してない。
「PSYCHO-PASSとBEATLESS で示された統治の高度知的自動化の問題は現在日本の官僚制の潜在的な問題の比喩になっているのです」とかTwitterで呟いても通じないでしょ。じゃあ、これをどう説明するかなんだけど、作品論に帰着させず、時代潮流や社会通念に還元しないなら、どうするのってこと。
例によってベントさんです。リバタリアン・パターナリズムかって、今、辞書に刻まれた言葉ですが、不幸を見過ごすことができるのか、
身近で悩んでいるのは子供の教育をどうすっか、子供が声優学校に行くと言ったら応援できるのか、ジーと考えているすが。
まあ、おいら国公立の大学に行けないレベルって書いたこともあるっすが、今時国公立ってつぶしが利かないほうになるのか。
おいら、タバコ吸ってもいいけど医療費を自分で出してねと書いたように、どっちかつと、リバタリアンで、パターナリズムてか、人の人生に責任持ちたくないほうなのだっす。
好きにすりゃいいじゃん。
自分も人から進む道を示されたくないしなー不幸だとわかっても進みたいほうだし、他人に強制とかもしたくないっす。
で、子供の教育はとぐるぐるするっすが。
大事な人に、大事な人ができたときに、不幸を享受させるのか。
でも、人の行動に指示するって、その後の人生を丸ごと引き受ける覚悟はあるのか、って問われるすよねー
まあ他人を否定する人をどこまで許容する文化を作るのかって、ちょっと心の隅にというか、人を批判する自由はあって、拒絶はしない文化ってなんだろ?
あなたは嫌いだが、あなたを黙らせようとする人がいれば抵抗しますよ、って、ナチスを肯定したとしても?
でもあなたが正しくないのなら、あなたも批判を受ける、議論の場は作ること、なのか、場ってなんだろ?
議論に値しないこと、自分にとっては、でもその人にとっては大事なことで。
しんちゃんなら、システムを設計すること、とかいうかなー
なんとなく、雰囲気を作る。
選びたいほうを選ばせる。
選ばせたくないほうには軽蔑の目をとなるか、ほかに方法はあるか?
社会の合意、医学部はきついから、男子が選ばれて当然か。
当然と思わせるのと、思わないのが当然か?
泥棒にも三分の理、両方に正当性がある。
みんながどんな社会にしたいのか。理想と現実と、現実を変えていくのと。
現実を変えるのは、パターナリズムでは済まないので、おいらパターナリズムが好かないというのはあって。
ディズニー映画は現実より0.5歩だけ進んでいるのか、歴史は英雄が動かすのか、民衆が動かされるぐらいには成熟していた(?)のか。
進むべき方向の芽があればこそ、少しづつしかよくならない。
同意のない方向に動かないのなら、パターナリズムが成立するのか。
革命とは何かになるのか?
日本の正社員男子で革命起こしたくなることはない既得権益で、片親家庭の貧困率は革命に値するか。
理想とは何かっすか?持たざる者のってマルクスか。
不満のない社会はないとして、それでもよりよさを目指すとは?
パターナリズムを押し付ける側も常に問われる、安全圏でなしか?
絶対権力は腐敗する。
自らの過ちを知るシステムっすか。そんな安全圏はどこにもないのか。安全圏なのか。