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ひと月ほど前からnoteに移行しています。
このまま黙ってとも思ったんですが、毎日誰かこのブログをチェックしてくれていて、愛されている幸せ感に負けてしましました。
この粗末なブログにありがとうございます。
いや、今日投稿した記事、上手く書けたかなーと思ったせいもあるつか、でも、最後に読み返すと訳わかんないすね、精進いたしますです。
はてなではありがとうございました。
黙祷
(数少ない)飲み仲間の訃報を聞いて茫然自失なので、しばらくお休みです。
恩は2倍返しと続く関係とか
おいらさん、転勤族で故郷がない。
就職しても転勤族だし、ずっと続く人間関係が分からないというか、人は通り過ぎるものだと思っている。
というか、特別な人、が分からない気味である。
いや、我が子かわゆしではあるけどね。
家に帰るとき、我が子が駆けてくるのを想像してニヤついているというか、はっと気が付いたら我が子の名を口にして浸っているというか。
それはともかく、何を考えているのかわからないのが人であり、自分も何を考えているのかわからないしな、
置かれた状況によってやることが違う、環境の影響を大とするのなら、その人がつらいところで吐く思いで選んだ尊い選択をどう解釈すべきなのだろう。
あるいは、罪を憎んで人を憎まずとは(ってずれがあるな)
それとも、相手が変わっていってもいつまで愛をささげるのか。
相手がどういう人か、言うことではなく、したことを見たら一番分かるのか。
これって、相手の内心、動機によって、行動をジャッジするってことって何となく受け入れがたいというか。
なろうの18禁版で、愛があると思えたら、鬼畜なことも許されるのか?
いやいや、それって、相手の思う愛の押し付けって、自分を尊重してくれてないって思う。
自分を尊重してくれていたら、鬼畜なことでも許されると思う回路ってあるかなー
まあ、多少のひどいことがあってもま、いっかと思えるのは、一過性のものであるからか、と言えば楽観的で、良いことも悪いこともあるのが普通です。
悪いことが多少あっても、ま、いっか、であり、見過ごせなくなるのは、決定的な「許せないこと」一つか、積み重ね、であるのか。
何となく、ぼんやりと、傾向はあって、外れ値もある。
外れ値を真に受けすぎるのもどうよ、派だな、僕は。
てか、3,4年に一度頭に血が昇るが、サクッと忘れるので、自分が許せないことの傾向が分からないなー
逆にうれしいことって、結構、相方と長く続いているのは、お互い干渉しあわないからだろうなっつーのは見える。
つか、なぜか転職本を読んで、人生ネタに使えるッ、

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自分のできること、動けることが3%も5%もあれば、動いてみよ、状況変わるぜ。
とか、ネットでの応募で就職が決まるのは4%とか、で、じゃあ効率の良い方法はとか。
ついでに

30代からの「異業種」転職 成功の極意: 超一流ヘッドハンターが教える!
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も性格診断っぽいのがいくつかあって、おもろかった。
自分、えらくなりたい欲求はないだろうな。人と接しない部署になって、苦痛でないので、教えることで動機付けにはならない。(とか、新たな自分の発見だったすが)
専門職傾向かなつか、正しいことをしていたい人ですのだが。
知識を持ちつつ、状況に合わせて、試行錯誤する仕事ラブかなー
その人が尊い選択をしてくれたってのなら、恩は2倍返し、かな。
2倍返し、はしよう。
そのうち、秤はぶっ壊れることになる。良いことも悪いこともあるだろう。
でも、その人のためを思って、自分が不利益を被るのか、まあ不利益つか、労力をかけるつか?
自分、忘れっぽいので、こいつ、どうしようもないという人にあったことがないんだよねの恵まれ具合なんすが。
恩を受けるってことは関係ができるってことかなー(深く突っ込んだら面白くなりそうだな)
中学んときの国語の教科書でモンゴルの人は受けた恩をすぐ返すのは失礼だと思っているとかあったな。
ま、いっか
なぜ争うのか、争いは理性で避けられるのか、とか言うと、損得で動くかどうかって、命より大切なものはあるか、になるのかなー
カシュー様の立場理論は、外部環境に拠るっぽい感じで、俺理論はコントロールできない外部環境にこだわるのは無駄。
自分の動かすことのできるのは自分だけ、で、自分の価値観と他人の価値観、両方大事にしたい派です。
というと、最近なんか「矛盾」がテーマになりそうです。
ペトロニウスさんは矛盾するマクロとミクロを両立、身近なところと人類の発展の寄与をバランスよくするっぽいのが目標であったような、
会社は利益の追求と社会貢献を両方しなけりゃというか。
命より大切な自分の価値観と、快適な生活の両方を追求するってどういうことだろう?
この二つ、矛盾するものでもないだろうというか、優秀だから給料が多いわけでなく、給料が多い業界に身を置くから給料が高いっぽいの。
僕が通りすがりに侮辱を投げかけられないの、マジョリティである場に身を置くことと、人に敬意を示すこととは?(???)
窓際のとっとちゃんで、トットちゃんが「チョーセンジン」と言葉を投げつけられたことが忘れられないこと、マサオ君でしたっけ?
在日コリアンでまだ幼く、自分が言われた言葉をそのまま他人に投げつけたのは。
むむ、外部環境。でも、そこで潰れるならそこまでの人で、それでも優しくあれる人にしか日は差さない残酷さというか、
人間、自分に非が、負い目があると思わないと優しくもなれないつか、相手が悪いと思ったらやりすぎてしまうというか。
正当化する理由を与えないこととは?
どんな理屈にももっともらしさがあって、もっともらしさの大小、大小を計るとはどういうことか。
あなたの理屈に共感するが、でも私は私の理屈を通すし(折れないし)、というか、あなたの意見と調停する政治つか。
どっちの理屈をとるかってどういうことだろう。
理屈に(みんなが分かる)利益が絡むのか、私の感情(私だけが理解できる価値観)が絡む。
両立するともいえるし、言えないときも多そうで。
自分自身、どっちの成分を多くするのか、その場の気分すか?
自分は何で折れるのか。自分が大切にする価値観とは何か。(人によって違う人それぞれの生きざま)
等価交換の法則が成り立つとも思わないが、成り立つことも多いというか、何と何を引き換えにするのか。
与えられた外部環境で、自分はどう生きるのか。
自分がとる選択肢が全くないと思うこともないというか。
悪意の連鎖というか、自分のところで悪意を引き受けて他人に流さないとはどういうことか。
誰にでもできることでなし。でも誰かはしているのだろう。引き受ける市井の人はいるんだろう。
引き受ける人は身を削るばかりでは、自分を損ねてしまう。
青空に癒されるしかないのか。人に癒される、人に期待するとはどういうことか。
人に期待しないとはどういうことか、ってカワンゴさん、偉大さが分からなかったが、やっぱ面白い人かも。

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人を現象として扱う、雷が落ちたとか、地雷を踏んだとか、天災として。家庭を持ったら子供に嫁に理不尽なことばかりで、ありのままに受け入れる。
そういう人は偉い人の腰ぎんちゃくにもなれる。独身者は難しい。
って、某人、勤め始めた職場で上司にキレたとか、なんか僕と違うんだよね。
理不尽が当たり前で、理屈が通ったらラッキーというか、他人をコントロールできない外部環境ととらえていないというか(僕も人は天災系だと思っているな)
なんだろ、こうあってしかるべき理想像があるのか、か、周りの中に自分があるのか。周りと軋轢がなければそれでオッケーつか。
あー俺、周りに理解を求めないよなー置いていただけるだけでありがたいです。いじめの後遺症か。
気分的には自分もマイノリティでだから少数派に同情的と言えるか?
周りから迫害されてもしょうがないとおもえるのは、迫害される世界も想像できているつか、現状でもないので、他人に優しくできる(?)余裕もあるとしたもんでしょうが。
いざとなったら自分も生き残るだけしか目指さないんだろうというか、自分の気高さに誇りも持てないというか、人間、醜いもんだと思っているニヒリストっす。
自分もクズだと思っているので、他人がクズであっても、自分もそうだし、あんまりクズであることに頓着しないというか、自分がどうあるべきかに焦点が当たる(?)
自分の気高さに誇りを持てない。気高くあれる(?)のはただのたまたまっす。
自分に夢がないので他人にも期待しない。
他人に期待するというかあるべき姿を期待するとはどういうこと何だろう。
他人はフリーダムである。逆恨みもされるだろう。でもされないかもしれない。
自分が分かることでもない。他人の行動次第で自分の行動を変えるのはまあ当たり前っすが、そればっかりでも自分がないの自分とは何か。
自分の価値観。他人がどうあれ、自分が追い求めたいものがないのも何のために生きているのかわからない気がする。
僕はヒヨっているので、他人の価値観との調停だとは思うっすが。
他人の争ってまで欲しいものがないというか、生きるに必要なものを争わずに手に入れられる環境のありがたさよ。
自分が不利益をこうむっても、他人が喜ぶので自分も嬉しいつか、自分の不利益にも頓着しないってどういうことだろう?
そういう領分もあったほうが生きやすくも思うが。
他人との関係でギスギスしないつか。ま、いっか、で流されること。
自分に金が残ることを重視するんでなくて、自分の前の金の巡りをよくすることとは?
人との関係で、与えること。自分に返ってくるか分からないことを自分の持ち出しで与えること。
与えることは簡単な(?)関係の作り方で、関係があると会話するがあると、人が自分を大切にしてくれることが分かると、自尊心にもなるつか、生きていて楽しいかなー
生き馬の目を抜く世間の中で、自分が抜く方にまわらずとも、ほっこり生きる場所があること。
金の切れ目が縁の切れ目か。そうであるか、そうでないかは事前にはわからない。
今が楽しければ、今の連続で人生が成り立っていること。
相手に楽しい思いをさせると自分も楽しくなること。
相手に返せない負債を負わせると、相手が離れていく。
贈り物が応酬となるとは?適材適所、それぞれ与えるものが違っても、全体としてうまく回ること。
少しずつ、不満もあるかもしれないが、折れることもある。わがまま全開でなくとも、楽しいことはある、かな?
争いと敬意と信頼と
なぜ争うのか?
中二病チックな疑問は、どこぞのアニメのせりふであったような。
欲しいものがあったから。
欲しい状態があったからで。
ただ欲しいものは数多あり、わざわざ争うに値するとはどういうことか。
貿易があり、買ってもらう仲だと、戦争にはなりにくいか。
防衛力がなければ、そいつを属国にしたほうが儲かるとなるか。
失うものと得られるものと。
まおゆうでは、戦争自体が商売になるとあったような。
または得られるかもしれないものが、失うとわかっているものより尊いか。
計算で成り立つのか。
イランの出稼ぎの人の映画(だったか?)は、侮辱で我慢できないことがある、でしたが。
生きることより重い価値観があるのなら、損得より重い価値のあるものがあるってことだろう。
今の日本は生きることを自由より重視するんでないかっポイ指摘もありましたが。
いやな役を引き受けて、みんなから嫌われてもなすべきことをなすのも、理解者がいないところでするのは、困ったお隣さんになるのか。
争いの原因がないということは、満たされているのか?
不満がないというか、うーん、当然あると思っているものがないとつらい。
自分の状態は、普通であると思えば不満もないか、それとも他との比較により満足するしかないものなのか。
不安のない状態はない。
不安に耐えるとはどういうことか。
損得での不安か、感情的な不満か。
テロリストのパラソルは金で人の心は買えるってお題でしたが。
(中二のころ読んで、いまだに筋を覚えているので名作だったんだろう)
若い子は批判自体を嫌がる風味であったような、
批判する意味が分からないというか、
現実に対して、現実を変える力がない行動は、軋轢を生むだけであればするのも必要がないというか面倒か。
相手を変える、それだけの面倒くさいことをする馬力がないか。
相手の興をそぐぐらいなら、仲良くするには黙ったほうがいいか。
相手は相手、自分は自分の原則を分かっていない相手だと、自分が批判の意図を持っているとすると興をそぐか。
相手を変えようと思っていないただの感想である、というか、シンカリオンというか、

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今年のベストかなと思ったかというか、
人を人として扱うことが、どれだけの救いになるというか、
昨日気分が良かったのはなぜかと思ったら、自動車保険のおばちゃんに人扱いされたからか(涙)だったからというか。
侮辱の反対は敬意となるか、自由、相手の不興を買う自由とは何だろう?
自立した個であることは孤独であることで。
たまにある敬意のある中は貴重なのか。
というか、こないだ市民プールに行って、駐車場のおじいさんに久々にムカとするような余計な一言を言われたというか、
それでいうと、僕は余計な一言を貰うような経験はあまりしないんだけどなー(???)
敬意を持つということ、や信頼があるということは争いに対してどういう意味を持つのだろう?
ってそんなお題は大きすぎるので次は本の感想ですかな
(追記)
概念上の敵は殺せても、悩みもあり、長所もあり、欠点もある、同じ「人」なら殺しにくいか。
信頼の前提である、「知る」こととはどういうことか?
争いは関係性で緩和されるか
ロードス島戦記の4巻だったか、カシューとアシュラムがなぜ争うのか、アシュラムは理想が違うから(だったっかちょっと自信ない)、カシューは立場の違いと答えたんだったか。
大辞林、3番目で、立場とは、その人の置かれている、地位・境遇・条件などで4番目がものの見方、だったんだけど、自分としては3の感触だったんだよね。
その地位にあるから、何かをめぐってたまたま争うことになったからで、それが別の人だったら別の人と、あきらめてくれたんなら特に争うこともなし?
理由が先にあるんじゃなくて、争う状態にあるから、争うような?
なんとなく、LDさんの戦争状態も時がたつと、技術の発展で争う理由がなくなるっぽいのを思い出すって、出口さんもそんなこと言っていたっけな?
何が重要視されるのかって、その時の状態に規定される。
状態って何だろう?
欲望の発展説だったか?
安全の欲求とかの上に自己実現の欲求があるっぽいの。
食べ物を食べるために豊かになりたいというのは、たぶん万人共通の思いで、そのために回りと協力するのは想像がつきやすい。
でも、自己実現の形、というか、なにで自分がワクワクするかって、人それぞれというか、ワクワクの共通の形って難しいのか、趣味って何よって、テレビ番組好きなのは、ネトゲ好きなのはくくれるか、人によって内容が違うのかというか。
何に我慢できるのか?
あるいは、なんのために人と競争するのか、何を取り合って争うのか。
争うものは万人にいきわたらない貴重なものなのか。
押井守が価値観で番人納得するものはなくても、勝負は感情移入してくれるって言ってたっけな。
何が貴重かは同意されなくても、負けたくない思いには同調されやすいだろうか。
日韓どーなんでしょ?
あいつが嫌?あいつが好きで、好きはそれぞれで、嫌いが重要か。
好意を示すために損をするのは抵抗があるが、嫌いな人の足を引っ張るのは損を承知か。
嫌いな人が自分の二倍の現象が起こると天使に言われると自分の片目をつぶすのか。
実験だと、得をするのと比べて損をするのは2倍苦しいと考える(テケトー)と、
苦しさの我慢はしづらいか?
不幸の覚悟はしにくいのか。
不幸を想像さすのは、得をさせるのと比べて抵抗感を持たれる、不幸の我慢はなんでおぎなうのか?
人を不幸に指す快感は、自分の我慢の限界を超えやすいのか、
赤ん坊が殺されるのを止めたい正義感は、自分の損を見えなくさせるのかって矛盾はどうだ。
正義の感覚と人の不幸の蜜とどちらがより重いのか。
押井説だと、正義は同意されにくいか。
争う理由は、争うに足る欲しいものがあったからで、争うのに失われる資源と、争うことによって得られる利益と比べると、利益が多そうに思えたから。
それだけ欲しいものがあったから。
なぜ欲しいのか、理想の実現か、自分は欲しくなくても周りが困るからか。
自分が我慢して利益を与えて、次は相手が我慢して利益をくれる、関係が成り立つと争いはどうなるのか。
自分目線は2割ぐらい評価が甘い、納得できる線はないとして、少しの我慢も許せないとはどういうことか。
決定的に許せないこととは何か。
生存に関することは同意されやすく、プラスアルファは人それぞれ。
あの人のために協力してやろうとなる、ならない。
結局は人か?立場、周りの人間との関係、関係性が争いを規定してる、と言えるかなー
関係性が良ければ、負担が次に利益をもたらせると思えれば、我慢できるか、自分はベストを目指す国際関係になるのか、近江商人であるとはどういうことか?