ま、いっか
なぜ争うのか、争いは理性で避けられるのか、とか言うと、損得で動くかどうかって、命より大切なものはあるか、になるのかなー
カシュー様の立場理論は、外部環境に拠るっぽい感じで、俺理論はコントロールできない外部環境にこだわるのは無駄。
自分の動かすことのできるのは自分だけ、で、自分の価値観と他人の価値観、両方大事にしたい派です。
というと、最近なんか「矛盾」がテーマになりそうです。
ペトロニウスさんは矛盾するマクロとミクロを両立、身近なところと人類の発展の寄与をバランスよくするっぽいのが目標であったような、
会社は利益の追求と社会貢献を両方しなけりゃというか。
命より大切な自分の価値観と、快適な生活の両方を追求するってどういうことだろう?
この二つ、矛盾するものでもないだろうというか、優秀だから給料が多いわけでなく、給料が多い業界に身を置くから給料が高いっぽいの。
僕が通りすがりに侮辱を投げかけられないの、マジョリティである場に身を置くことと、人に敬意を示すこととは?(???)
窓際のとっとちゃんで、トットちゃんが「チョーセンジン」と言葉を投げつけられたことが忘れられないこと、マサオ君でしたっけ?
在日コリアンでまだ幼く、自分が言われた言葉をそのまま他人に投げつけたのは。
むむ、外部環境。でも、そこで潰れるならそこまでの人で、それでも優しくあれる人にしか日は差さない残酷さというか、
人間、自分に非が、負い目があると思わないと優しくもなれないつか、相手が悪いと思ったらやりすぎてしまうというか。
正当化する理由を与えないこととは?
どんな理屈にももっともらしさがあって、もっともらしさの大小、大小を計るとはどういうことか。
あなたの理屈に共感するが、でも私は私の理屈を通すし(折れないし)、というか、あなたの意見と調停する政治つか。
どっちの理屈をとるかってどういうことだろう。
理屈に(みんなが分かる)利益が絡むのか、私の感情(私だけが理解できる価値観)が絡む。
両立するともいえるし、言えないときも多そうで。
自分自身、どっちの成分を多くするのか、その場の気分すか?
自分は何で折れるのか。自分が大切にする価値観とは何か。(人によって違う人それぞれの生きざま)
等価交換の法則が成り立つとも思わないが、成り立つことも多いというか、何と何を引き換えにするのか。
与えられた外部環境で、自分はどう生きるのか。
自分がとる選択肢が全くないと思うこともないというか。
悪意の連鎖というか、自分のところで悪意を引き受けて他人に流さないとはどういうことか。
誰にでもできることでなし。でも誰かはしているのだろう。引き受ける市井の人はいるんだろう。
引き受ける人は身を削るばかりでは、自分を損ねてしまう。
青空に癒されるしかないのか。人に癒される、人に期待するとはどういうことか。
人に期待しないとはどういうことか、ってカワンゴさん、偉大さが分からなかったが、やっぱ面白い人かも。
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人を現象として扱う、雷が落ちたとか、地雷を踏んだとか、天災として。家庭を持ったら子供に嫁に理不尽なことばかりで、ありのままに受け入れる。
そういう人は偉い人の腰ぎんちゃくにもなれる。独身者は難しい。
って、某人、勤め始めた職場で上司にキレたとか、なんか僕と違うんだよね。
理不尽が当たり前で、理屈が通ったらラッキーというか、他人をコントロールできない外部環境ととらえていないというか(僕も人は天災系だと思っているな)
なんだろ、こうあってしかるべき理想像があるのか、か、周りの中に自分があるのか。周りと軋轢がなければそれでオッケーつか。
あー俺、周りに理解を求めないよなー置いていただけるだけでありがたいです。いじめの後遺症か。
気分的には自分もマイノリティでだから少数派に同情的と言えるか?
周りから迫害されてもしょうがないとおもえるのは、迫害される世界も想像できているつか、現状でもないので、他人に優しくできる(?)余裕もあるとしたもんでしょうが。
いざとなったら自分も生き残るだけしか目指さないんだろうというか、自分の気高さに誇りも持てないというか、人間、醜いもんだと思っているニヒリストっす。
自分もクズだと思っているので、他人がクズであっても、自分もそうだし、あんまりクズであることに頓着しないというか、自分がどうあるべきかに焦点が当たる(?)
自分の気高さに誇りを持てない。気高くあれる(?)のはただのたまたまっす。
自分に夢がないので他人にも期待しない。
他人に期待するというかあるべき姿を期待するとはどういうこと何だろう。
他人はフリーダムである。逆恨みもされるだろう。でもされないかもしれない。
自分が分かることでもない。他人の行動次第で自分の行動を変えるのはまあ当たり前っすが、そればっかりでも自分がないの自分とは何か。
自分の価値観。他人がどうあれ、自分が追い求めたいものがないのも何のために生きているのかわからない気がする。
僕はヒヨっているので、他人の価値観との調停だとは思うっすが。
他人の争ってまで欲しいものがないというか、生きるに必要なものを争わずに手に入れられる環境のありがたさよ。
自分が不利益をこうむっても、他人が喜ぶので自分も嬉しいつか、自分の不利益にも頓着しないってどういうことだろう?
そういう領分もあったほうが生きやすくも思うが。
他人との関係でギスギスしないつか。ま、いっか、で流されること。
自分に金が残ることを重視するんでなくて、自分の前の金の巡りをよくすることとは?
人との関係で、与えること。自分に返ってくるか分からないことを自分の持ち出しで与えること。
与えることは簡単な(?)関係の作り方で、関係があると会話するがあると、人が自分を大切にしてくれることが分かると、自尊心にもなるつか、生きていて楽しいかなー
生き馬の目を抜く世間の中で、自分が抜く方にまわらずとも、ほっこり生きる場所があること。
金の切れ目が縁の切れ目か。そうであるか、そうでないかは事前にはわからない。
今が楽しければ、今の連続で人生が成り立っていること。
相手に楽しい思いをさせると自分も楽しくなること。
相手に返せない負債を負わせると、相手が離れていく。
贈り物が応酬となるとは?適材適所、それぞれ与えるものが違っても、全体としてうまく回ること。
少しずつ、不満もあるかもしれないが、折れることもある。わがまま全開でなくとも、楽しいことはある、かな?