自由な新世紀 不自由なあなた
- 作者: 宮台真司
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2000/04
- メディア: 単行本
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何に不自由を感じるのか、人によって違う。
最後に狂うのは金か女か、かもだけど、そこまでに嫌なことは人それぞれの部分はある。価値観いろいろ。
神は死んで価値観は自由になったのか、超人はどこまでいるんだろうか。
自分の個性を、自分はこれが好き、あるいは嫌いだとはっきり言える人はどの位いるんだろう。
好きなこと、嫌いなことを選ぶ選択肢は始めから無いとムッキャーで、心に余裕がなくなる。
でも、満たされすぎていても草食系なのか?
強制的に奪われる選択肢はどこまでが平和で、どこからがやりすぎなのか、
若いころに苦労しすぎると捻ると聞いたような、もちろん苦労は買ってでもしたほうがいいような、誰にとってもの解はない。
嫌いなこと、好きなことがわかるには、実際にやってみる経験が必要で、自分に肯定感が持てれるには、
とか、日本に住んでいて悩むのも馬鹿らしいが。
人間関係を欲するのが人情として、自分の所属集団にどこまで忠誠を誓うのか、集団の選択、結社の自由か、としばらく放っていたけど、本を見るたびに買い込んではいたお題を思い出し。
初めから抜けられない集団、自分で選ぶ集団、選んだ感がないと忠誠を誓えないということもあるまいが。
なんか煮詰まっています(新用法)。次は4次元が想像できない編、とか書いてみたいのかなー
共同体と社会と孤独
神が死んで、西欧の人は孤独らしい。
10年前には社会と共同体は違う、とよく読んでいたが、最近は聞かないような。
人間関係と趣味の両輪があれば、私は生きていけそうである。
好き勝手する場(趣味)と縛られる場(人間関係)の両方が必要だ。
ロードス島伝説 文庫 1-5巻セット (角川スニーカー文庫)
- 作者: 水野良
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2002/10/31
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で、主人公は自由な竜を名前で縛ることによって手に入れた。
不自由でないと自由を実感できない、永遠の夏休みは怖いぞって銀魂の長谷川さんが言っていた。
人間関係(共同体)を求めるのは、なんつーかインテリ的にはあまりお勧めされていないような、AKBなのか読んでいないけど。
自由な価値観とは、私的には生きる意味で、生きる意味をはっきり自覚できない私である。
何をしても変わらないとニヒリズムの傍にいて、でも、何があっても変わらないなら、努力しようとしまいと結果が同じであれば、別に努力してもいいか、あえて努力してもよいか。何もないより努力もする苦しさも楽しく、苦しさも娯楽になる、のか?(この辺、長く書こうと思えば書けるのだが。id:Gaius_Petroniusさんに分析してもらいたいようなhttp://d.hatena.ne.jp/akizu/20150918にも少し書いているけど)
ただ、そこで、変わらないのならと反社会的な行動にも出れるというところで、ISISに行く若者の気持ちもわかったりする。
そこで社会に生きるのは無意味と思う人もいる、包括的な社会とは?は宮台先生の弁だが、うーん、引きずられて考えが浮かばないのだ。
せっかく神から自由になったのに、人間関係に縛ろうとするのか。
人が生きるに値する社会に人間関係はどこまで必要なのか?
人との触れ合いがなければ生きていけないというのは、私にとってはまあ真実で、それでいうとほかの人も同じだろうか?
私が選んで所属している感か、代わりのない場は強制的なものなんだろうか?
いや、情けは人のためならずというか、税金を多く払って社会保障が充実したら、巡り巡って治安も良くなるのか?
一を聞いて十を知る
一を聞いて十を知る、ということは、新しい情報を得た背後に、今まで知っていた情報で肉付けして勝手に補足する思い込み危険性があるのと、
自分が1を言った時に相手が10肉付けするわけでないのに、2,3,4、、、と順繰りに説明できないので
(頭の中は1イコール10の膨らませっぷり?10を1,2,3、と分解できない?)とか大変そうだなと他人事。
相手がどんな情報を得ているのかの考えが及ばないというか、そっちの問題のほうが大きいか?
1を聞いて十を知る能力と、説明できる能力は別なんだな。適所を選ぶ。
今日は食欲がない通り越して、吐き気がした。
そんなにひどい状況でもないと思うんだが。某JA職員が上役の尻拭いにうちに来た時に、メガネを取った疲れた姿を見て、あれより私の状況は全然マシとか思いましたのです。
明日も黙って残業というか、昨日は残業代がつく残業だったのでつけようとしたら、先輩に「だからできない子って言われるのよ」といわれるのは日本全国普通だと思っています。(結局つけなかった)
足るを知る、で生き詰まる
やり過ぎるのは、「何らかの不安状態にある」からだとする。
やりすぎの歯止めには満たされることが必要である。(強引)
足るを知ること。
つまりは心が平安状態であること、
とここで、平和である人とイコールになるのか、としたら、ナウシカが頭をよぎったのである。
- 作者: 宮崎駿
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1994/12/01
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平和な人ってそれ人類?
- 作者: 中村うさぎ,桐嶋たける
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 1993/06
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ルーベットちゃんが、精霊王にないものねだりで人類は進歩したと内心突っ込んでおりました。
向上心は現状を打ち破る力だから出して、足るを知っていて出てくるものでもないか。
自己肯定感を持つ、と足るを知る、はイコールでないか?
足るを知る、は足りないのを楽しむと言いかえる?
となんか言葉遊びをしている。
初めから選択肢がある、あるいは自分から譲るのなら納得感があるが、同じ結果でも強制的に選択肢を奪われたらムキャーとなる(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20141101/p4)
ない選択肢を楽しむ余裕がある心境になるには?
足るを知ると考えたら余りに植物系というかみんなにインストールできそうにないので、やりすぎの歯止めを自己肯定感と人間関係から考え直してみる
(なんかカウンターが回っていたので更新してみました。面白くなくてごめん)