足るを知る、で生き詰まる
やり過ぎるのは、「何らかの不安状態にある」からだとする。
やりすぎの歯止めには満たされることが必要である。(強引)
足るを知ること。
つまりは心が平安状態であること、
とここで、平和である人とイコールになるのか、としたら、ナウシカが頭をよぎったのである。
- 作者: 宮崎駿
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1994/12/01
- メディア: コミック
- 購入: 10人 クリック: 53回
- この商品を含むブログ (102件) を見る
平和な人ってそれ人類?
- 作者: 中村うさぎ,桐嶋たける
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 1993/06
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (4件) を見る
ルーベットちゃんが、精霊王にないものねだりで人類は進歩したと内心突っ込んでおりました。
向上心は現状を打ち破る力だから出して、足るを知っていて出てくるものでもないか。
自己肯定感を持つ、と足るを知る、はイコールでないか?
足るを知る、は足りないのを楽しむと言いかえる?
となんか言葉遊びをしている。
初めから選択肢がある、あるいは自分から譲るのなら納得感があるが、同じ結果でも強制的に選択肢を奪われたらムキャーとなる(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20141101/p4)
ない選択肢を楽しむ余裕がある心境になるには?
足るを知ると考えたら余りに植物系というかみんなにインストールできそうにないので、やりすぎの歯止めを自己肯定感と人間関係から考え直してみる
(なんかカウンターが回っていたので更新してみました。面白くなくてごめん)