理解しようとすること、あるいは言葉を信じること
アメリカの政治家のことを
利害をうまくまとめる基盤がなくなってるんじゃないかな。
と答えたベントさんっす。
とか包括の限界というか、包括しようとするのは、相手に理解を示すということではないのかと思ったのです。
いや、僕、クール(←笑うところ)なので、馬鹿は馬鹿で説得できるとも思っていないというか、相手を変えるなんて大それたことは考えたくない、責任取りたくないから、
であるんですけど、責任をとる覚悟をするならば説得もせねばなるまいのか、
相手の言うことを理解しても共感はしないのか、
共感はしても反対票を投じるとはどういうことか?
いやね、理はあるんですよ。どんな理屈にも。それは認めます。
でも、その理屈の利と、私が支持する理屈の利は、私の価値観において、私支持のほうが重いんです、という。
利益団体かなー
移民入れるって、ドキドキしているんすが。
チャイルドライン計画、おしゃかったので、初級インドネシア語の勉強にしようかベトナム語か。
それはともかく、意見は違ってもあなたを尊重します、って難しいかなー
あなたを尊重した結果自分が損を被っても。
あなたと私が共通の利害を持っているというか共通の共同体(?)であるのならば、あなたの得は私の得と思えるか。
あとでその借り返してもらおうよっポイ、長期の関係を結ぶかどうかなのかなー
喜んでくれたら私も嬉しいつか、相手の喜びが自分の損と感じないような関係を結ぶってどういうことだろう?
はなから敵対するか?
と、在留ネパール人を取材する在日韓国人の人の記事とかヤフーで読んで、
というか、自分、待ちゆく人の声とか、なんなんでしょうね?
そう考える人もいるかもしれない、でもそう考えない人もいるかもしれない。
割合って分からないじゃないですか?
決して代表意見ではない。
し、割合が分かったとして、人生、多数決でないというか、割合でなくて、「その人」と付き合う、「その人」攻略法が重要なのであって。
代表の人と付き合う、そういう経験、パンピーはあんまりないような気がするんですよね。
ある代表の人と付き合う、というより、買ってくれるあなたに一番刺さる言葉で商品売らないといけないわけで。
言葉はその人その人に合わせて変えていくっす。
というわけで、アテナイから民主主義には言葉に強い政治家が必須なような、
大勢の人が何に共感するか、アンテナビンビンというか、
人を大勢の人として、共通のくくりを見つける能力になるんだろうか?
その基盤ってなんなんしょ。
ネットが出てきて、様々なものが様々な形で生きられるようになって、
私の理屈とあなたの理屈は違うの差異が大きくなってそれで生きるのか、
妥協するのが難しくなったか?
相方がユーアーザワールドをして、古き良きアメリカっつってたんだけど、
うーん、共通の目標というか、共通の敵に対して団結するってわかりよいよねー
目標と言えば色がないが、敵とすると感情がついてきて自分の不利益も我慢しやすいかなー
というより、敵は自分に損害を与えてくるのが明確で、その損害と敵をやっつけるための自分の損害がはかりやすいか?
損害の見える化というか、新しいことを実行するにあたり、何を得て何を失うのか。
得る方と失う方と、それぞれ人が違うからややこしくなるのか。
それを一緒にまとめるにはどうしたらいいのか。
代わりに別の法案飲まして、その代わりに別の法案飲まして、、、の繰り返しで、結局鵺なのか、共感は得られないのか。
分かりやすさとは何か?
政府に対する信頼、信頼ってやつが一番重いんだろうか?
(うーん続くといえるほネタ持ってねーぞ)
(追記)
自治体としてまとまりが良いのは100万人まで(?あれ、小さいな?)
道州制は1000万人でしたっけ?
ある程度小さくないと、利害関係が見通せないというのはあるだろうか?
(追記の追記)
シンカリオン流していて、まじめに見てなかったんだけど、何話だ。
名作だな。
戦いは礼を重視してこそ言葉のない対話が成り立つ。
強くなりたいわけは、つよいとあいてからの攻撃を流せて、相手が諦める、話ができるようになるのではないかって、
意訳っす。アマゾンビデオでやってるかな?
正確に聞き取りたいのだが。