俯瞰的な視点(その2)

将来の楽しみのために今嫌なことをする。

未来ってどうこけるか分からないから、無駄な努力ってこともありうる。

てか、感情を重視する実存主義者的にはどこまでの我慢かなーっぽくも思う。

って、極東ブログの「母性のディストピア」評が割かしおもろかったんすが、http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2018/03/post-fc3d.html

えーと、僕はこの「母性のディストピア」が何を指すのかよく分からない風味です。

権力をかざす父性を封印して、母の承認を得る???

吉本隆明も読んでいないし、共同生もよく分からない。

共同生の対比に家族幻想?

まあ、よく分かっていないっすが、僕なりに勝手に僕の辞書から引っ張ってくると、まあ大義に翻弄されて自分の人生見失ってない?です。

僕は、近畿の財務局の自殺した人が可哀そうで仕方がないっすけど、僕、アラフォーになっても未だに仕事好きだからな。

ペトロニウスさんは仕事が人生を盗むって言ってるけど。

ここに、見栄が入っていたら、そりゃ―まずいっしょだけど、一応、出世は諦めているっスが、時間はいくらつぎ込んでも?後悔はないという。(実はあんまり子供と遊んでいない)

で、自分の思い(ってエロスっすか)にどこまで忠実に生きれるかなんすけど、あーオレ、仕事辞めることも考えるけど、結局楽しくてズルズルだしなーてか、責任重すぎなんだよなー

それはそれで、自分の選んだものっすが、大義が全くないのもアレで、自分の喜びが全くないのもアレで、ってバランスをとるのが人生だっぽくもペトロニウスさんぽくもあったけど。


人生をゲームだと考えるのないが斬新かって、苦楽を受け流すことかなー

悲劇の直撃を避けること。

今の状況は一時的、人生を変化するものとしてとらえること。

動けない人って、次はこうなるって決めつけているというか、まあ自分は生きるために生きる境地にはまだなっていないわけだが。

俯瞰的に見れないと、次はこうするって動きの幅が狭くなる、今の境遇からの変化を呼び込めないかな?

僕、最終的に全く信頼する人なんていないって微妙に人間不信が入っているっスが、自分がこの人に賭けた金、失ったものと考えていいかどうかなんすよねー

賭けたほうが楽しい、ドキドキしてパチンコ中毒者の気持ちが分からなくもない。

未来は分からない。賭けるってことをする人生、しない人生、賭けるのは人生だったら外れたときのダメージが大きいのか、

とくさんが逃げ道は絶対確保すべきと書いてましたが、外れても笑える程度に賭ける。それでも続くことを考えるってどういうことだろう。

生きるために生きるのもつまらないと思う派ですが、それこそ、大義のために死ねるってことっすか。

同僚と、死にたくなるって気持ちが全く分からないと言われて、新鮮だったんすが。

人生の目的は幸せになることではないかなー

この苦しむことを含めて感情を堪能すること、っぽくも思ってるっスが。

堪能しつつも、先のことも考えつつ?というか、堪能ばっかじゃ、変化に翻弄されるだけでつまらんような、

考えるってこと、個人であることを最近また考えているんすが。