覚悟を決めること

宇野常寛
時間に対して自分が主導権を持ってるって感覚、これが自己肯定感のベースだと思うんですよ。日中の活動的な時間を他人に決定されてることの絶望みたいなものって、圧倒的に大きい。

https://cakes.mu/posts/19692

僕、ジーと考えているんす。

自分の人生に不満を持たないためには、人生の選択をしたと思わないといけないような気がする。

不本意であっても、選択したことに納得していないと、不満たらたらになるっぽいの。

納得していれば、どんな過酷な人生でも肯定的に見れるようなというのもひどいが、否定的にはならないような。

って、選択に納得しないと、そういう人生になったのを何かのせいにしてしまう気がする。

塩野七生が「人を殺したセクシーさ」って言っていたような、取り返しのつかないことをして、それを飲み込むこと、人生を引き受けて、後悔も自分のものとする、胆力があるというか、もしかして受け入れたらそこからどうするかのガッツがあること???

何があっても受け入れること、もカギになるような気もしているんすが。


で、考えることっす。

選択をするって、根拠のあることのような気がするんす。

それならば考えることが大事だよね。

まあ何となく気が向いたからも立派な理由になるんすが。

まあ、自分の足りない頭だと、人まねしたほうが無難かなって気もするっす。

頭のいい誰かが考えていないことなら、たぶんどこかに穴がある。

それでも決めるってことは、どんなひどいことになっても受け入れる覚悟があってこそ、ってな感じのような、

未来はわかんないっす。

未来の出来事を書いた本を読んで、第二関東大震災が起こったことは書いてないのね、と思ったというか、前提が狂うことはありまくりである。

もしかして僕の生きている間に怒んないかもしれないっすけど、起こるかもしれない。

僕の考えだと起こるリスク、確率とインパクトで備えて、と、病気になるとか交通事故にあうとか、くじに当たってしまうこともあって、備えすぎッて何が起こるか分かんないし、

なら、好きなようにも生きたいが、仕事辞めても良くて年収300万なんだよなーやめられないか、そもそも、そこまで仕事嫌いじゃないしなーと元に戻るっぽくもある。責任の重いのやなんだけど。

未来がわからない中で、何と何を天秤にはかるのか、比べるものを決めるのは自分っす。

人生を受け入れることは覚悟を決めるってことで、それで初めて、自分の人生が始まるような気がするのであったっす。

出来が良くなくても、それが自分の人生っす。

他の人がうらやましく思えるかもしれんっすが、ほかの人の内情だってあんまりよろしくない。

顧客に楽な人生っぽくなじられたことが一度あるんすが、さすがに子供に移る病気もちカードを切らざるを得なかったっすが(確率としては1割弱)、大学院も休学して、ええ、結婚はかなりハードルがあったっすが、25年も生きれば、逃げ切れる人のほうが少ないっすよね。

どこで不幸カードを切るかの違いっす。

幸せな家庭は一種類、不幸の形は様々で、私の不幸の形はそんなもんっと、今の僕が言うととても軽い言葉になってしまいますが。

相方は年だし子供が障害を持って生まれたら、子供がかわいそうだって二人目に否定的っすが、生まれただけで丸儲け「うまるちゃん」?ですよ派です、僕は。

悲劇だって決めつけることもないと思うんすよね。親にできることは愛を教えること、愛の存在が感じられる瞬間があったら、人生そう不幸でもないように思っているっす。

受け取り手にうまく伝わるかは分らんすがね。決めつけはできない。可能性があるとはどういうことか?

選択をあきらめないこと。結果はついてこない人生で、自分の選ぶ人生、見えない(愛?)を前提にするのか、って、って極東ブログのクリスマスストーリーっすね(昨年の分まだ待ってる)