好きな人にも嫌いな部分はあるが口にしないほうがいいのか

それぞれ国民には、言ってはいけないことの暗黙の同意があると聞いたことがある。

日本国なら天皇ですな。退位の日程が決まったら7時のニュース延長するのか。

僕は、

世間知というのはそういうふうに他者を追いつめるように機能してはいけない。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/11/post_347d.html

というのも思い出しつつ、(関係ないか)、口に出してはいけない言葉に国民の間でもずれが出てきたんやろか。

僕は、これを言ったらアウト、というか排除される言葉はあんまり良くない。

もちろんアウトな言葉は有って、アウト言ったら、排除される覚悟で問題提起する道も残しておかないとだし。

一方でアメリカでLGBTだと命の危険もある。

達成したいことで世間との軋轢がないというのは幸いであって、やっぱりファーストペンギンは命の危険をさらすべきなんだろうか。

そうやって自由の範囲は拡大してきた。

というか、CAKESの牧村さんの本があったから読んでみようとも思ったんすが。

自分の規範があるけど、他人に押し付けようとはしない、無関心であり続けよってのが標準になってしまうのか。

うん、別に自分の事に忙しいからそれでもいいよっスが。

それに傷つく範囲は人それぞれで、ディズニーの警察ウサギが「それは言われたくない」と言ったシチュエーションを気にしているのですが。

耳に痛いことを言われない権利と、他人のことを何も言わないのは表裏一体で、それでも、親しくなるのは、言いたくないことも言う、個性を認め合うことだろうけど、

黙ってキスをするのが一律に引っ掛かる世の中に住んでいると言えばそうなのだが。

(どうでも)いい人ならばそうなんだろうけど。

清濁併せのむというか、認めがたい部分と尊敬できる部分と持つ人が活躍しにくい世の中かな。

政治家のオフレコネタが公に出てきたらまず―というか。

品行方正な人が優秀とは言えないんだろうけど叩かれるな。自分も同性パートナーでいいヤンとは思うけど。

皆が同意できる意見は少なく、意見の違う人を黙らすのか、批判する自由はお互い持ち、黙らせる強制力はどこから出てくるのか。

言葉での突込みと、実際に排除するのは同等でないようで、排除とイコールと思われている気がする。

意見が違うのは当たり前で、それでもあなたが好きですと言えない人も多そうで、

それでもあなたが好きと言えないのなら、一律に言葉に網をかけたほうがいいのか。

まあ社交コードとしては。

自分が賛成できない意見を持つ人とどう付き合うのか、牧村さんの本を読んでみたし?


と、次のネタとしては、私が考える他者の思考とはなんだろう?

考えられない思考とか、他人の欲望を我が物とするのか、っぽいことである。

実は今日は、鹿ネタに着手する予定だったのだが、次のネタの種を書いていたら長くなったので略。


(追記)

というか、マンガを読んでいたら、自分の醜い部分は見ていないふりをしてもらいたい人と、受け入れられたい人と2種類いるって書いてあったか