非合理に生きる、自分があること

他人の価値観と自分の価値観があって、両方大事派な秋津君です。

他人の価値観だけだと息苦しく、自分の価値観だけ、ジャイアンでも周囲と上手くいかなく生きづらい。

自分も大事だけど、私の好きな周囲の人も大事にしたい。

周囲の人にも順番があるのか。

秋津君がほかの誰でもなく大好きな人と(あえて秋津君を大事にしてくれる人とは言いたくない)、

自分なりの物事の優先順位ができることは、他の人への譲歩ができることだ。

生き延び戦略としては、他の人が欲しがるものは代償も高いような、小さく何かを提供して、大きな取り分を取る、

というか、社会的には色々な役割分担があるわけで、脇役でも生き延びられる資源があるとよいのだが?あれ?

そりゃー日の当たる場所にはあこがれるけどねー僻みがないってわけでもないけど、割り切りもできないと気持ちよく過ごせない。

私にとっての大事なものがあるってことは自分のとっての、自分なりの価値観があるってことで、(脱線していくのだが)、

橋本治が、世の中の人にとって(若い男にとってだったけな?)一番嫌なことはBBAになることではないのかという小説を書いていた。

大阪のおばちゃんどうなんでしょ?どこで引くかが見えにくい人って付き合いにくいかな?

おとーちゃんを口ではけなしつつ、毎日ご飯作ってくれるような、大事にしてくれているようなのが見えるといいんだけど?

自分なりの世界、美意識があることって他の人にとっては滑稽だけど、本人が楽しければいいんじゃないというか、あんまりみみっちい(って土佐弁?)生き方はしたくないなとは思うけど。

かつての才女とかブログにありましたけど、何かほかの人の価値観を捨てることって、自分なりに大事なものを作るって、大事なものを感じられるまで育てるにはどうしたらいいのか。

なんでもいいから労力お金を費やすと、もったいなくなって執着が生じるか。

でも大事なものって、比較できないものだから、自分では捨てることを選べないものであって、それこそ実存のようにも思う。天恵、呪い。

余暇時間、何で過ごしているか、なんとなく時間をつぎ込むものが、仕事にして良いものか。って普通人はだらだらテレビ見てネットしてかなー

確率思考で考えない、これだけはどうあっても守りたいもの。

でも、確率思考で考えないというけど、どこまで損害が被れるか、世間の人が考える損害と自分なりの許せる線の損害と別れることは自分の価値観ができることで、唯一無二でなくても、自分なりの価値観が育ってきていることだと思う。非合理な人、人間性がある。


ぼかー自分を凡夫だと思う。オチビさんが夢の中に出てきたことはまだないけど、自分の命より大切なものができるって命より大事なものは一つぐらいしか持てない気もするし、持てたら事故だろうな。楽しいですよ。

それがある限り自棄にはならない程度のものですが。

そこで、スタンド・バイミーに続く。言葉にしてはいけないもの。キング、機微のある人だ。全部読んでも面白そうだけど、ドキドキしすぎるなー

なお手塚治虫火の鳥宇宙編DVDを見て、エンタメに収まる範囲でえぐいこと、リミッター外したらどんなものだったのか、時代を考えるなー


(追記)

こないだから、信頼がキーワードとして頭をチラチラしてるんすが、信頼でもないかなー

迷いがないこと、後悔がないことにあこがれがあるというか、優先順位に迷いがない生き方って憧れっす。自分は