余生

思考が深まらないことも分かっているんすけど、掘り掘りもしないことには、行き止まりが分からないと、そこから先の道も作れないわけでして。


17万円でどう生活するか。何を買うのか。

絶体的貧困ではない、相対的な貧困の苦しさで。

お金があったらと思って、あったとしても叶わないものは多いけど。

と、余生について考えているのである。

生活に追われまくって人生が終わるのが普通だと思う。

でも輝ける一瞬はあった人も多いかもで、何にも希望が無くなる、変化の芽がなくなることだろうか。

僕ちん、そんなものはないかもだけど、負えない責任をテーマに持つぐらいには、他人との関わりがあるようなないような。

失敗したらどうしようという思いはある意味、非常にスリリングで退屈しない刺激的である。

そんなもの欲しくないが、順調しすぎても退屈するってことは分かる。

順調しすぎて退屈するなら、毎日の家計簿が綱渡りなら、退屈もしないか、パンとサーカスさえあればいいのか。

というか、堕ちるって感覚が分かるような分からないような、自分を大切にしないこと。

私が大切な周囲と、周囲といるための大事な私であり、

えーとよそ道にこけるのだが、火の鳥鳳凰編を見て、彫師として、残したい造形というか、これさえ叶えばあとはどうでもいい一瞬はあるだろうか。

(例によって永劫回帰になってしまったか)

まあコーリングだよなー呼びかけられるのは呪いか祝福か。

しかしそんなハイライト、あるのかないのか、私は、私が可愛い。

なるべく楽しく生きたい。苦しくないのはただの僥倖で、楽しく生きれるのは自分で選べるものでもないような気もするが。

私は、どっちをとっても大事なものを失ってしまう選択肢を突き付けられたことがない幸いである。

はっと気が付けば、月誕生日がまた回ってきた。年を取れば1年も早い。気が付けば職場の中堅である。(エースになれない悲しさよ)

目の前の問題に振り回されていたら、あっという間に60になっていそうな気配もする。

何を残せそうな人生でもないが、相方がいて、君は料理に関しては脳みそが腐っている、と、なじられる幸せよ。

何かを残すということに関して、私の欲はない(今のところ)。

こーなればいいなってことはあって、相方にこの料理はおいしいねと言われる程度でニヤッとできる。

幸せの網目が細かいからこそなのかなー

マギで守るべきものがあるから争いになるって言ってましたが、守るべきものがなくても自棄になれるっすよねー

大事なものを失うときに猫を咬みに行く。

僕がいてもいなくても変わらない世界と、自分が必要とされる家族(関係)と。

相方が僕のために動いてくれることに疑いがない幸せは、たぶん運が良かっただけなんだけど、そういう幸せが掴みにくいってことと。

人に与えるものがあるって幸せなんだよね。

人をモノとして見ないってことは、私の都合に人を合わせないことであるし、人に対して、都度、行動を変えるってことで、それが嬉しくあること。

人に合わせて、それが嬉しく感じる人がいるって幸せである。喜んでくれることが嬉しい人がいるって幸せである。

それって恋に落ちないと得られないものなんだろうか。

あかん、バカップルになっていて、それじゃないことが書けないなー

人に喜んでもらうことは嬉しい、喜ばすことができなくなって、与えるものが何もなくなっても、それでも生きるとは、かなー

僕がいてもいなくても変わらない世界で、どうやって大切なものを調達するのか?

朝の散歩論者なわけですが。地球の大きさを感じよなわけですが。ウサギを飼おう派ですが。

時間つぶしに何らかの変化を求めること、一喜一憂する目的を設定することなわけですが。語学がよろしいというの分かる。

それ以外にあるかなー