恋に似たもの

この世界での愛には苦しみが伴う、というのは、原罪みたいなものだろうと思う。

BY finalvent


やりたいこと、出来ること、求められる役割、重なるときがなく苦しむしかないのか。

人と付き合うってことはどんなことだろう?

僕は人と付き合うとき、自分の気にくわない部分を見つめないことは、自分に都合の良い面しか見ないことは他人を自分の都合でしか見ない、物として見ること、だと思う。

で、今日

を見る。

千畝の外交官生命をかけて、ユダヤ人を救った。

そのユダヤ人は無力な人びとである。

もちろん、排斥されるがゆえに、高い階級に多くいるっつーのも、鶏か卵か、同族で助け合い、その同族に居住地の国民は入っているのか、入っていない偏見があり、迫害は正当化された、偏見は噂上では事実である。

finalventさんが戦時冷静でいれたという自信はないと書いておられたような、私も自信がない。

私自身の価値観で尊いものを踏みにじってきたとおもわせてこその、同時代の空気だ。

昭和14年の時点?でドイツが敗れる目なんてなかった(かな?普通は見えない)

私に害を及ぼすものに示すものこそが愛のようにも思うってキリスト教かなー

と言うのと、与えるだけの物量、自分は持っていないよね、出来る限りはと言うのはあって、千畝の生き方は泣きそうになるのは事実だが。

人をモノとして見ないことと、害意ある人に示す厚意、と、ずっと写真を見続けて飽きない人。

人にできないものをできるものとして制度設計してもダメで、利益がある状態、常にカードは持っていないといけない。

人と長く付き合うには、楽しませること、恋に似たものって読んでないけど。(たぶん文脈違う)

人を楽しませる、楽しさと、自尊心の関係を考えたり、考えなかったり。

与えられることばかりなのは子供で。与えるってどんなことだろう。

千畝の子供が菓子を難民の子にあげて、施しで拒否られるかと冷や冷やした。

同じであることがないのか、喜捨なのか。あたりをグルグル考えている。

人がどんな反応をしても何にも変わらない私の在り方ができるのは、狂気と言うかギフトと言うか。

迷い苦しみ生きるしかない、以外の結論はあるかな?