友達とは

パプリコさんだったかアドバイス聞かない女子には言わせたく思っていることをそのままオウムいうけど、友達ではなくなる。
友達とは何ぞや。気の合う奇跡的な一瞬か。

ペトロニウスさんは他人の子供の話を聞くほど退屈なものはないと言っていたような違うような、自分の子供の写真を人に見せていたら止まらなくなった話は聞くような、人を大切である実感はあると思う。

どうでもいい他人と、幸せになってもらいたい人、どこまでが実感で、どこからが自分の身を切るツラサとの交換条件になるのか、グラデュエーションってなもんで、いざ突きつけられても、どこまで体が勝手に動くのか動かないのか、その時になるまで分からない。

自分の思い込みが投影できるから可愛く思うのか、振り回されるのが面白いのか?

振り回されるってか、他人に期待するって疲れるよねー(SNS疲れ)

他人に期待しつつ、期待を通さない他人を尊重する矛盾を備えないと他人を動かすことはできない。

と、人を動かすには、順序ってなものもあるし、宮台先生の表現と表出だったっけな、口に出してスッキリと他人を動かす言葉は違う。

ん〜僕は他人を動かすのに、自分の言うことを聞かないので友達辞めるってないと思うんだが。

他人と僕が違うのは当然で、でも、その違う他人に魅かれる、嫌うの選択肢はある。

僕の場合は馬が合わないとなったら、遠くで幸せになってください♪を発動させる(あれ、友達いない?)

違って当然なら、何に魅かれるんだろう?

利用されているだけになったとき?気の合う奇跡的な一瞬?

松下君、カリスマあるくせに小賢しいところもあるというか、進んで苦労を買っていないような水面下でいろいろ引き受けているような、

うーん、自分の場合、近くの人にはそれなりに、遠くの人には疎遠に、の日本人でしかないかな???

距離が取りたくて取れない人間関係はストレスになる。

対偶はストレスにならないのは距離が取りたくて取れることである。(自信無し?)

友達は自己選択権がとれるかどうかの問題になってしまった。

自分で人生をコントロールできる、と、他人に期待するってのはどういう関係になるんだろう?

他人に期待するってのは、人生の選択肢にできるものなんだろうか?業なんだろうか?

「あたりまえ」にある人間関係が「信頼」できるものである確率ってどんなもんなんだろう?

「信頼」を勝ち取るって自然なものでないような、勝ち取るもののような、

と、成功したければ成功者の友人をつくれとは言うけど、成功者にメリットを与えなければ、サークルに入れてもらえないような、

理解できる同質の他人、理解できない異質の他人、自分の持った人付き合いパターン、

自分が選択できるかもあるし、他人に選ばれるってこともある。


お、背後が起きたので