知ること
ちょびっと思ったこと、市民のルール。
話が通じると思ったら会話するし、通じないと思ったら触らぬ神。
よく知らないと、触らぬ神になってしまうというか、
いつもの自分のパターンで処理できないときと言った時、
「いつも」も幅が狭いと、付き合う人が同質の集団ばかりだったら、触らぬ神が多くなる。
偏見が大きくなるってことでもある。
それが悪いのと言われたらそれまでなんだけど、
広い世界を知るメリット、と言っていいのか、問題設定が変なのか。
と、昨日、書きかけで消えたと思った記事が残っていたのでなんとなく掲載。
昨日のネタとしては、ペトロニウスさんの楽しく生きるには仲間(自分の中の手触り?)と、目的の2つが必要、というのがあります。
安易に前提にするのはどうかですが。
と言うかペトロニウスさんの言うところのミクロとマクロにコケるかな?
生きる意味はあるのか?というテーマはfinalventさんから貰ったもので元来は僕のものではない。
もしかして僕の辞書に意味という言はないんでないかい?
自分の思想を持たざるをえないのはかわいそうと思った僕、それは自分の価値観を持つことだからして、自分の考えを持つと孤独になる、ので否定してしまったか?
(そ〜でもない気がするか、橋モッチャンの言っていた、個性的と言われる人は個性があると言われると悲しい、個性は傷論を思い出したか)
僕の物事思い出し機能は感触と書いているが感情というか、実存である?
考えることが実存であるからして、というか、先日、士業を受験するか迷って、士業になった自分が実感を持って想像できないというか、偽物っぽいというか、タダの妄想だったというか、
イメージトレーニングもしてないしな、の実感なしだったんス。
借り物の思想ってこれかな?と思わなくもなかった感触なし。
で、