その人であること(その2)
ぼかーなんちゃってリバタリアンである。
他人に指示されるのが大嫌いだ。
選択肢は多ければ多いほどいいし、実害がなければ、別に悪口を言われようとかまわない。
私がすべての人を好きになれないのと同様に、全ての人に好かれようなんて無理。
で、入れ替え不可能性がその人であるような気もして、それだと、選択可能性とバッティングする。
恋愛というのは、多分だけど、その過程で、自分たちが変わっていくこと。で、悲劇は、変えられない自分に向き合うこと。
BY finalvent
というのと、
しかし、もし今日の世界を揺るがしている問題の対立軸が「異なる」人びとや文化との関係性をどう構築するかということにあり、しかもその問題の解決が極めて困難であるようだというならば、
その対立軸が載っている土俵から改めて考え直してみるということもあながち無駄とは言えまい。
その土俵とは、人間を「異なる」集団に分けて把握する、という世界の捉え方そのものである。
- 作者: 和田郁子,小石かつら
- 出版社/メーカー: 昭和堂
- 発売日: 2017/04/10
- メディア: 単行本
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この本おすすめ(と誰とはなく言ってみるが)、蝶々夫人が、19世紀のオペラによくある悲恋もの、で、われわれがなくした恋愛の純愛性を辺境人が持っていた、で、
着物が左前だったり時代考証がいい加減、なのを日本人が公演で直す意義、とか考えるし。
昨今、鉛筆の持ち方が正しい人を見る方が珍しいクラスタである自分からして、その人を見ることは他の人のパターンをその人に投影することでもない。
(赤ちゃんの生育、ほんとに人の意見が当てにならない、で、うちの子が何カ月に仕上がったらそれが正しい、地球が宇宙の中心性)
選択できないことと、属性を問わないこと、はなんだか繋がる気がして、あと2回ぐらい考えたらの下書きを今日いたしまする?
と言いつつ、背後が気になるので、いったん置きます。