その人であること その3
ペトロニウスさんが、「本当の恋愛とは相手の本質を全うさせること」とか「本当の自分なんてない」なんてことを書いていたような、一見矛盾するようで、本人的には整理できているんだろうな、比べて書いてくれないかな、である。
「四月は君の嘘」のDVD最後1巻を残すまでに見た。
好きと嫌いではない、は違うそうである。もちろん青少年向けには、嫌いではない、を否定する。
一目ぼれはヤバい、という言説もあるけどね。
相手の長所を評価するか、欠点のなさを評価するかって、ずっと続く仕事は?にも通じる気がする。
ちなみにぼかー欠点のなさを選んだ。
しかし3か月も一緒に住むと、さすがに、毎日一小言ぐらい貰うようになっているけど。
三角食べしてないって、見逃してくれよう、で、ぼかー、相手が笑う雰囲気だと、とりあえず、すいませんというけど、相手に避難する気持ちがあるのなら、自分が悪いと思ってないとぜって―ごめんと言わない依怙地だな。
聞こえてないふりをするか、まだ批判度が少なければ、えー(笑)と言うか、で会話を途切れさす努力をいたしまするで、口論にはならずです。
両性の努力あってこその平和な生活ですね♪
じゃなくて、できることと、できないことのどちらがより本質であるか、と言われたら、私は「できないこと」というな。
秋葉流っぽく、できることも、何でもできることが高じると、歪んでしまうこともあるが、それは極論で、普通は、できないこと、しないことが、人生において、格闘する議題になると思ってる。
どうやって欠点と付き合っていくか、に悩む。みんなが求めること、理想とは、ずれる、その人なりの個性になる。
世間とうまく折り合えなく、人とうまく折り合えなく、そいつは選択不可能で、入れ替え不可能なものではないか?
恋愛というのは、多分だけど、その過程で、自分たちが変わっていくこと。で、悲劇は、変えられない自分に向き合うこと。
BY finalvent
ぼかーどうしようもないことはあると思っている。
泣きながら飲み込むしかない事実。飲み込めなくて、夕食で会話しているときにふと叫びたくなるときもできるだろうな。
もちろん、自分はそんな体験したくないよーなのは認めるが、あるものはある。
年を取り、栄光が過去のものになり、うざがられるように、失うこと、できないことに煩悶することが人の人生の本質ではないかなーってペトロニウスさんと少しずれるけど、とりあえず。
ぼかー実存主義者っぽく、すぐに失われる嬉しいこと、ずっと食っていけない嬉しいことより、ずっと悩む苦しいことの方が、その人なりの人生になるのではないか。
というと、人生を繰り返すに足る、嬉しいこととは何か、とバッティングするかなー
嬉しいことがあったらラッキーな人生で、思い出したらほっこりすることは、1回ぐらいはあるっしょ???
正直でありたく、不利益を被るとはどういうことだろう?
てか、この文脈に「理想に住むこと」を突っ込むのか
と言うわけで、次は、人と付き合うとはどういうことか、かな。