未知と説明責任
あうあう、私はコスモポリタンにはなれないのよーというのはあったとして、でも、大学の入学ミーティングの時、戸惑っている子がいたので声をかけたらアジアな留学生で、そのまま4年間付き合ったというのは有ります。
目の前にいる人と見えるのならいいんだけど、じゃ、「外国人」とひとくくりにしてしまう経験のなさというか、「未知」っていうのは怖いんス。
とドイツ人を笑えない。
まあ、日本人がいろいろいたら、いろんな人がいるのも当然で、外国人としても問題のある人は割合としては少なからろうだけど問題児に当たりもするだろうけど、
刺されたら刺されたでしょうがないんじゃね、それで助かる人がいるんなら、といえるか、お互いのメリットを言い合えないとだめなんでしょうけど。
施設に預けるぐらいなら、うちで育ったほうがいいじゃんな里子で、
家族は多い方が楽しいっ、で私は押し切って榊原になっても仕様がないかで、
相方はそんな私を選んだ責任で我慢してもらうとして、兄弟は可哀そうかな、だけど、
まあ金色の朝顔は滅多に引くまいて。(実際相方を説得できるかは分からないけど)
でも、里子な子が、周りに多かったら、楽しいからいいでしょで押し切れるかもだけど、
状況が普通じゃなかったら考え込んでしまうかなーのマイノリティは説明責任があるって面倒くさくはある。
仮親としては、赤い糸があったと、なんやかや強硬に、つじつま付けて言い張るけどな。
当たり前に乗れないツラサはある。
宮台真司が、人間の定義の区切り方について、(知能があれば人間か?植物人間は?クジラは?)、所詮は恣意的だけど、みんなの同意が得られるより、技術の速度が速くなる問題点というか、技術の速度を遅くしなければというか、
同意を形成する、結論ではなくてその過程が大事なんだーなら、
移民にしても、今から?みんなで話し合う場は設けていないといけないんだろうな、であるが
と、私は選挙で戸別訪問が違法はやめたほうがいいやん派です。
ああ、哲学カフェっていいですね。