信じることの強さ?

時間が溶ける〜今、もちょもちょ期に入ったらしく、なんだかこれを掘り下げたらどうなるというのが湧きまくるんだけど。

嘘をつくとはどういうことか(インスバイアhttps://note.mu/finalvent/n/nb29fa0a75416)

祝福に関する周辺(インスパイア・ログほら)

インスパイア・為末大さんの新聞記事、

インスパイア・伊賀さんとイシューの人の対談

自己肯定感における、都合のいいは個人を見てもらいたくて、慰めるときはワンオブゼンの健全性とか、

よく分からないけど、ディープランニング的な何か認知とは?

人間をかくとはどういうことか

まだあったけど、忘れた。

とりあえずの今日は、ありのままを認めたら、僕は、人生を肯定的に認めることができるのではないか説で、

これは信じ込むことの強さって欺瞞との関係はーですけど、じゃあ、ありのままの反対はタラレバになるのか?的を書き書きする予定っす。


僕は、自分が社交的でないにしろ、それを認めたら、落ち着きが生まれて、気の合うの人の一人や二人はできるんでは的に書いていたような気もします。

肝が据わっていると申しましょうか?

タラレバ言っているうちは、雰囲気が軽々しいような、おじさんの最終セーフティになったるぜの責任感がないような。

ありのまま認めると言っても、復讐に燃えるのもありなんかな、ではあるが、現状の改善に前向きに善処はしている。

なんや、青のエクソシスト見ていたら、ユキオがストレス溜め込みやすいやつは、悪魔に付け込まれるぞっぽかったっす。

何かに転ぶって、えーと自分でも何を言っているのかわからないような、幽白の仙頭さん?がこけたような、良い価値感のものだから信じるだった場合、悪いもの見させられたら、ガタッとこけそうなというか、

じゃあ反対は、どうなんでっしゃろ?のときに、自分がにーちゃんに対していらだち(憎しみ?)を感じているも認めて、それでも愛する部分を重く見るっつーか、

二つの相反する感情を認めて、それでも良い方にいた場合は、まだしも転びにくいかなのう?

(流れに任せて適当に書く)

牙狼 炎の刻印の主人公が、人を守る意味を見失って、というかこいつも復讐派だったし、しかし、好きな人ができて、人を守る意味ができたんス。

一回の幸せで人生をふるのかってな感じですが、マイクロソフト人工知能ツイッターでこけていましたが、何事にももっともらしさが(当人には)ある一方で、他人から見たら瑕疵のある価値観でいる理由はなんでっしゃろ。

エクソシストの二重スパイの志摩さんは、主人公の側に愛着を認めつつ、悪にこける側になったら、どういう理屈で来るんやろーかちょっと興味がある。

とすると、ありのままを認めるは、私のテーマ「人は正当性(や快)なしに悪を(悪と認めてや不快として)為すことはできるのか」に関係するのか。

ありのままの否定で(自己の感情をそれと認めずに)何かを為そうとすると、ちゃんと物事を見ていないので、何か対策がずれそうな気がした。

問題設定がおかしくなりそうな?

ってそれだけかよ。でも、ありのままって、正当性と関係があるような気がして、ぱっと思いついただけでは論理がつめられないのでまた今度っす。

クリシュナムルティがなぜ、愚かさや悲惨をただ見つめなさいというかというと、その見つめるなかに愛があり情熱(flame)生まれる、から。人の生は、瞑想で安らぎを得るためではなく、その炎によって自我が焼きつくされるようにあること。

あるがままに生きる、というのは、オタクはオタク、LGBTLGBT、デブはデブ、ハゲはハゲ。変わるとすれば、あるがままに生きていくなかで自然に変わる。まあ、ハゲに毛は生えないかもしれないがハゲに悩むことはなくなるかもしれないし、ウィッグを楽しむようになるかも。
BY finalvent

も関係あるのかないのか書けなかったし。

なお、ブレストのタグがついている記事は赤っ恥をかくいいわけですので笑ってくだされ。

誰かの考えの足しになったらいいけどな、の気持ちです。