集団の成立条件(その2)
この辺、ちゃんとした本を読んでみたい感はあるが、うーにょ発掘が、いいけど。(あ、答えはないので、ポエムっす。)
とりあえず、何か一つの旗の下に集まるつーのは分かる。
でも、その一つの旗が、なにかに忠誠を誓うのか、なにかを排除するためなのか、の二択はあるかな、と思っている。
好きなものを一つか、嫌いなものを一つか、というか、ファシズムといえば、正義(同質)の旗のもとの異質の排除(のよーな気がする)が。
たぶん、悪だって勤勉でないと成功しない(水野良?)なわけで、欠点と長所は裏表である。
全く尊敬できない人は、私が隠している弱さを持った人なわけで、わたしとの共通点はある。
前回書いたのだが、って、こうみると、尊敬できない人と関係を結ぶのは無理か(自分にはない尊敬できる点)とみるか、
自分と同じ共通点を媒介にして関係を持つのか?って違いになるのか?
私の場合、なんとなーく、その辺もれなくカバーして、嫌いな人がまずいない状態には持って行っている。
それが、なんとなーく人の言うことは一理あるしな―回路発動にも繋がって、まずその人がどうしてそう考えたのか、聞いてみたくなって、無駄にこじらせることはないような気がする。
自分の知には限りがあるって、普遍性を持つことはできるのだろうか?
揉めないのがいいということはないだろうかというか、パイが少ないと揉めるわなって感じだけど。
というか、おじさんが相続した土地のことで借地権で弁護士に相談どーたらになっているけど、金持ちケンカせずっておもいなーというか、
(兄弟と揉めない)相続があっただけありがたいと思え、そんなものないものと思っとけという山崎武也だったけな(いいかげん)、
金は買えないけど、目の色を変えて振り回されるという人生かというか、新聞に「愛は貧乏と歯痛以外には勝つ」って金言ページにあったら、同僚はうなずいたけど、秋津君は貧乏がよく分かっていないという。
といいながら、今月給料日に1万5千円無駄金を使って反省していなくもないんだけど、足るを知るって何だろう?
インドではどんな貧乏な人でも喜捨しているって聞いたりしたけど、愛って繋がりがあるってことはどんなことなんだろう。
孤独がなければ愛はないし、苦しみがなければ慈悲もない。孤独と愛はひとつのもだし、苦しみと慈悲もひとつのものだろう。
BY finalvent
たぶん、人間、自分を2,3割高く評価していると聞いたような、相手の言うことをとりあえず、もっともな可能性があるという前提に立たないと、もっともな相手の言い分をはねてしまったこじれるのである。
他人に対して愛があるかどうかって、付き合いやすさに関係あるようで、やっぱり「孤独」の時期もないと、愛のありがたさを選ばないのであるか?よくわからんが。
あえて選ぶって私の好きな言葉である。
愛があるとすれば、合理性を超えたところに合って、損する覚悟で人に賭けるってことである。
まあ、賭けるって、勝負に勝つには勝率を上げる努力はして、最後はよく分からないものでないと、リスクを取らないとリターンはない。
っていうと、人を信じすぎても、騙される、利用されるってのもあるかもだけどさ、私、その辺、貧乏くじ引いたような経験もないような、あんまり賭けてないのか知らん?
デメリット考えて、ここまでなら、ないものとして考えらえる、と、計算はして小さくまとまっている、よく言えば、か?
山本七平の菜根譚で、秀才は人の考えが分からなくなるのでダメとあった(ような)けど、私、秀才じゃないけど、金で追いつめられた経験がないのは、思考の限界を感じる。
人を押しのけてってあんまりしたくない。(転職できないと言われるゆえん)
嫌いでまとまる人の気持ちが分からないので、好きで集まる欠点の埋め方もよく分からない。
ダイバシティと言われるのは、いろんな人がいて、隣の人が欲しいものが欲しいというマスがなくなって、細かい好みを拾う必要性ができたからで、
昔はよかったと言えるのは自分がマス(マジョリティ)の立場だったからでマイノリティは自分であることが否定されないほうが嬉しい。
孤独からの、自由からの逃走、かー
読んでみたし、か。処方箋はないのか、ないんだろうな。