世間から否定される感覚が分からない
少し前回は引きずられたと思わないでもない宮台先生説である。
どの国にもひとかどの人物と、へたれがいて、国が違ってもひとかどの人物同士だと話をつけることができるぽいことを言っていたような。
人を信頼し得ないと平和にならないような、と言うのは私がマジョリティで、大事なものを踏みつぶされた経験がないからである。
- 作者: 橋本以蔵,たなか亜希夫
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 1998/10
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もっとも、踏みつぶされた経験の有無は忘れっぽいのもあるかもだけど。
母に某氏の話をしていたら、妙に反応が悪いので、「どうした?」と聞くと、某氏は秋津を泣かしたことがあるやんて、本人は言われて思い出すのに4秒ほどかかりました。
話を戻して、だまされる方が悪い、ってところもあるようで、そんなところはやっぱり独裁政権じゃないと、権力に物を言わせないと、統制できないような気もする。
信頼、と強権、以外に何が平和にできるかっつーと、NARUTOか。
NARUTOでは否定していたけど、共通の巨大な敵は美味しいと思う。
敵の敵は味方、なのかにゃ〜
とか、秋津君はダイバーシティとか、リベラリズムとか大好きっこであるが、私が嫌いな他人のために血を流せって、やっぱり普通は通りが悪い。
それこそ、他に居場所がないマイノリティは必死になるかもだけど。
天動説なマジョリティってアメリカか。
他人のために血を流すって、半径3mとは別の駆動系で、ケイクスの共同幻想論を楽しみにしているんだが、(次に図書館に行ったら借りてみよ?)、
finalvntさんも殺しが入らない限り、国家の主権問題に口出すな派だったような、違うような、
人の悪口を言うことと、もっともな批判なんて区別ができるはずもなく、亡命の自由が認められていたら、と言うか、そこから逃げれるという選択は準備しておきたい気もするが、人を批判することの難しさよ。
私は、自分の言論の自由を確保するために、人からの悪口は許容しようとは思っているが、実のところ、悪口だけではなく、結婚差別、とか、就職差別、とかついて回る問題である。
う・る・さ・い。そんなくだらないレッテルで差別する奴らにろくなやつはいないと思うので、別に仲間に入れてもらおうとも思わない。
と言えるのもマジョリティだからだ。他に居場所がある。
ちょっと在日コリアンの話を読んでみたくも思いつつズルズル過ごしている。
世間全てから否定される感覚が分からない。
理解できない他者と上手くやっていく方法、法律?ぐらいしか思い浮かばないというか、同化政策と言うか、ローマ人の物語、読もうとしていたんだけど、体調の良い日が3,4日に一度しかなく、元気な日は他にやることがあって、なかなか読めないんだけど、やっぱり興味のある議題なので読んでみたい。
っつーか、韓国人学生と話す会で、相手の戦争観を否定してわちゃわちゃになった話を読んで、韓国人が信じ込んでいるのと同様に、日本の学説も読んだ自分が信じているだけで、どっちが正しいか分かってもんじゃねっぽく、広げていこうと思っていこうと思ってたんだけど、どっかながれた。
次回のお題かな?理解できない他者との共存ネタ、今回で終わるだろうか。
(追記)
ゲーム理論ではやられたことをやり返すのが最強か?