人生に対する楽観性の担保

夏休みを取って本屋でうろうろした。

一カ月に三冊しか買わねーと決意するも1月たりとも実行できていない、のはおいておいて、経済政策の本か、と3秒眺めて、意外と県立図書館に入っているので、検索してからだなー買いたいけど。

それはともかく久々にビジネス本の棚に行き、渡部昇一翻訳の啓発本の再販があった。

確か渡部本は評判良かったんだよな、と目次を見て、うーん、人の評価を気にしすぎないとか、私にとっては引っかかりがなかったので棚に返した。

私は、自分の価値観と人の価値観、両方必要とする派である。

と、

で、セリグマンらは、アメリカなどの先進国においてうつ病が増加している理由は、「自己評価の増大」と「共通の認識の衰退」にあるという。

つまり、われわれの生活は自己の領域がきわめて広くなり、そこで絶えず自分や他社の評価を受けながら生きていかなければならないのである。

それでも、挫折したときに精神的な支えになる存在があればまだ救われる。それは、家族であったり、神であったり、社会への信頼感であったり、生命を超えた大きな目標への信頼感であったりする。


キリスト教に帰依したら、些細なことがどーでもよくなって生きやすくなるってあれですか。

ぼかー世の中が等価交換で成り立つとは思っていない。

そこで、自身を損なわずに、世間に対する信頼感を失わないのはって

プラネテス(4) (モーニングコミックス)

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うーん、僕の楽観性も、結局ひどい目にあわされてないという一点に収束するからな。

この1点さえあれば、この人生を繰り返しても悔いはない再帰性って、おもろい概念だなーと思うぜ。(読んでないから知らんが)

子供のころの美しい思い出があれば、その後の苦難を何とかやり過ごせるのか。

大事な思い出と橋本治は代入し、それは何かに対する信仰かもで、信仰、再現性がないただの思い込みが精神的な支えとなる。

誰にも汚させない思い込みを維持できる条件は何かの?

というところで、自分の価値観であり、ヴァレリィも頭の片隅に置いている。

少しずれるかだも、自分は変わっていくけど、現在の自分の価値観に殉じる根性って、日本辺境論というか、どこかに正しい答えがあるって点からは批判されるかもだけど、世間がどうあれ、自分は真理って思ったんだよ、と言い切れる傲慢さというか、

他の人は他の人の人生があって、自分は自分の人生があって、自分の価値観で生きない、他人の人生を生きて楽しーのか?

自分は他人と楽しく生きることも楽しいので、他人にも配慮するけど、死ぬときは一人だしなー

それでいうと、AIで人間の仕事が減って、少数の判断する仕事しか、貧しく生きるか。

僕の母なんかは貧しくてもいいんじゃね派なんだけど、湾岸クラスタが、地方の子は英語を学びたいってよく分からない私立大学に行きたがって失敗する風味であったのだが、

希少な技術は必要で、でも自分に合わなかったら不幸でしかなく、もちろん、人間変化するものだから全く適性がないなんてのも少なさそうだが、考えることさえできたら、仕事は作り出せるんじゃね、と思う私は、自分で環境を乗りこなしたいって、サラリーマンをやめる根性がないので、やっぱり、自分にできない理想論を言っているだけなのかもだけど。

子供がそっちを選びたいっつーんなら、よく判断させたうえで、根拠があるんならいいんじゃね、自分の人生は自分でリスクをかぶれ。貧しいのがなぜ嫌なんだ。

自分で好きなことを仕事にすると、時間を限りなく投入できるので、成功確率が高くなるって、まあどう転ぶか分からんけどな。

自分のしたいことがあって、それをどう加工したら、世間の需要に応えることになるのか、抜け目のなさは教えて、江川達也の初めは合わせて、最後は好き勝手な結末で〆るというのはありだけど、何も考えずに全力投球することでしか道は開けないことは有り、結局、自分の後悔のない人生は何かを常に判断すること

私は結局、貧乏人の思考回路から抜け出せない、自分の価値観で生きたいんだよなーできてないかもだけど。

いや、私はこれしかない生き方を天に強制されなかったし、適当に周りに合わせて幸せになれるし、

何かが、仕事が本当に嫌になって、恨みつらみしか自分の中にしかなくなったのなら、後先考えずに辞めちゃえっていうか、まあ、そんなこともあり得ると考えて、自分の何が外で通用するのか、今、仕事の実績を作るのに一生懸命になるってリスクマネジメントはやっておきたいっすが。

というところで、自分の価値観に殉じるのもたやすくはなく、渡部の本の需要はあるんだろう