理想主義者というか

自分語り行くよ〜


私は病気こそしたが、自分は恵まれていると思う。

お金で苦労していない。人間関係で苦労していない。

自分で苦労していないっていうやつは、自分大事でほかを大事にしていない自覚がないと言われるとドキドキってするけど。

っていうか、病気になったのも、不条理に対する感性が身についてよかったかもしれない。

できごとが利益不利益、バランスが一見とれていないかものときも、目くじら立てずにそんなもんだと流せる。

こだわっていないので、むやみと反発せず、引き寄せられる運は引き寄せているような気がする?

運がいいと思っているというか、苦労していない。

野心家の時間割―人生の勝者となるために (PHP文庫 キ 1-4)

野心家の時間割―人生の勝者となるために (PHP文庫 キ 1-4)

で、邸さんが、土地にお金を投資したらお金はもうかることは分かっている。今よりも10倍も100倍もお金持ちになっていただろう。

でも、人の気持ちが分からなくなっていただろう的に書いていたような、その苦労をしていない自分の頭のお花畑状態はまずいだろう。

スイッチインタビューで杉良太郎が偽善者と言われても篤志を続けることを言っていた。

たぶん、人のために見返りを求めないことは批判を浴びるし、結果も思ったことにならないことも、無力感に打ちのめされることも多いだろうと思う。

でも、そんなことも引き受けないと、自分自身が腐っていくというか、私はひどい目にあっても、他の部分でいい目をしているので、たぶんほかの人より耐えられるだろうというか、耐えなければいけないような気がする。

それで世のバランスが取れるだろう。

いや、インドではどんなに貧しくても喜捨をするというか、この状態が変わったときも(仕事、10年後に業務量が増えて回せているか不安いっぱい、ストレスで発症するだろうか)続けられるかは問われるんだろうというか、

刺される覚悟もあるのかと言われると、ひるむけどというか、ひるむけど。

まあ、読めない先のことを言っても仕方がない。限界を構えたうえでになるけど、突っ込んできます。


(追記)
橋本治は幼いころ見上げた空の美しさに感動したことがあれば、その後にどんな辛いことがあっても耐えられる(なんか違うけど)と書いていたような私はアラサ―になるまでいい思いをしてきたし、まあその後、、、(げふんげふん)とさすがに断言できへんわ―ですけど、愛の余剰が尽きることがないといいなというかというか、

先進国の人がちょびっと諦めて発展途上国に資源を回したらうまく回るんじゃねとしたときに、初めから選択肢を持っていた人は価値が分からないのでそれがなくなっても気にしないが、努力して選択肢を得た人は放棄できないと言う記事を書いたけどいうか、あれれ?

とか、私の病気は10%の確率でよくはなったけど、直らない人も多くて、まともに働けない可能性のほうが高かった。自分もそっちの立場になったんだろうと交換可能性の思いをはせるし、まあ、自分がされて嬉しかったであろうことは、していきたいなっつーか、人として対等に付き合っていくって、あああ理想論だなー