正しさの根拠

橋本治が「貧乏は正しい」シリーズだったか、「日本のいいところは(アメリカとは違って)歴史上いろんなあり方があった。それを現代に持ってくればいい」とは言っていなかったが、自分の正当性に過去を持ってくるってことがずっと引っかかっていて、ホリホリしてみる。

頭の中に理想がある。それは実現しがたいことである。実際に現実にしてみたら、あれこれ、まずいことが起こるんだろうなー的である。

過去に実際にあったことならば、欠点は分かっている。少し続いたことならば、メリットもあったことが分かる。誰にとってかは知らないけど。

週末婚、通い婚だって昔の習慣で、現在衝突しあって、無理に一緒に暮らさないでも、で、あるかもしれない。正当化。

やっぱり便利か。頭の固い人を黙らせる効果はあるよななさそな。

大勢の人がしていることは、それだけで突っ込み難くなるのは日本人だよなー

本人が良ければいいんじゃね、ではあるけれどというか、結婚していない人は何か癖があるような気がして、と陰では流通していて、身の丈にあった人を探す嗅覚がないのかと自分が幸せなら思う。

自分じゃない在り方はどういう言葉で言われたら納得するのか。

本人が幸せだと言ったらいい気もしたが、でも、自分の理想でなかって、自分と違う条件を持っていたら、ああやっぱりと思う心はある、自分は市民だと思っていたが、市民であるのも難しいか。

表面で気にしないように付き合っていたら、それ以上はどうこうじゃね、本音なんて気にしてどうするよ、が師匠の在り方ではあるようだったが。

確かに、自分がいいと思っていて、相手が自分を100%認める気持ちでなかったとしても、いろいろ便宜を図ってくれたら、それで相手を否定するのも大人げないような気もする反対側から見たら。

マイノリティと同じ欠点を持っていても見逃されることの多そうに感じるマジョリティは面白くないのは認めて、その位置に立つ努力はしたい。

でもヒステリックになっても余計偏見で見られる辛さがあるというか、余裕って大事かというか、やっぱり理想の人物、象徴となる人は必要なんだろうか。

象徴となる人物のように余裕がないことをを責められても、また面白くないみたいだったけど。

個性を個性としてみてもらうには、やっぱり数の力がいるというか、大多数と同じ部分を持っていると印象付けないといけないのか。

いい部分も悪い部分もある。だけど、悪い部分ばかりクローズアップされても。とズートピアまだやっているかな?DVDがマシっぽい気もするが。

ぼかー舛添問題で絶望したっすよ。道徳と法は違うんだって。違う人が一緒に暮らすために道徳で罰してはいけないんだって。

やっぱり日本人は単一民族神話を体現しているのだろうか。

マイノリティは息苦しさを感じているって、あんまりよく分かっていなかったけど、そういう事実は有りまくりの気がしてきた。

道徳、世間の常識に反する自由があって、それでも仲間であると思ってもらえるための方法が分かればノーベル賞も夢ではないんだろうけど、考えるだけじいっと考えている。

多様性のない社会は脆いのは分かるけど、自由の追及はなにをもって、正当化できるんだろうか。多数派のお目こぼしである内はってヤなんですけど。

と、アメリカが白人が多数派でなくなって、その意が通じなくなったとき、合衆国に対して忠誠が誓えるのか興味津々である。

メリットがあればお目こぼし、か。


[追記]
今は少数派であっても、多数派が認める多数派の歴史に根拠があれば、説得力あるくさいか。

寛容論 (古典新訳文庫)

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のやり口。相手が最も大事にするものから自分を正当化するロジックは強力のようでした。