苦しみに選ばれる

登場人物たちは残酷で過酷な運命にさらされる。そこにはさっぱりと神というものはない。と書いてみて思うのは、この物語はどこかしらヨブ記のように見えないでもない。人の魂をどこまで締め上げることができるのかというシミュレーションのようでもある。

その苦しみから逃れるにはどうしたらよいのか。おそらく我執を捨てることだろうなと思う。人は、愛情や自分への尊厳を求めるために我執を捨てることはできない。そう書いてしまえば当たり前すぎるが、自分にそれができるのかというと、おそくらくできないから、心のなかで苦しみ続けているのだろう。
https://note.mu/finalvent/n/na631ff5d36a5

最近、自分は人を愛することは出来ないのではないか疑惑が持ち上がっている秋津くんです。

1年と2ヶ月前に、アラフォー前にして自分はこのまま終わるのかと思って1週間ぐらい鬱ってた。

finalventさんが名を残せない自分的なことを書いても人類の99.9%はそうだと思うし、何言ってるんやろ、と思ってたんだけど、自分がいざその立場に置かれるとぐっとくる、おじさんの味わい。

まだ人生は平均的には半分以上残っているんだけど、それが半分以下になった時、愛情や自分への尊厳にどれだけ執着するのか想像もつかない。

会社への出世に未練がある私。

我執を捨てられるのか、まあ傍から見たらよくある人のパターンではあろうが、いざ自分がその苦しみをと考えるとゾッとする。

執着はない人なりに苦しみがあるようだったが、自分がどういう思いと暮らさなければならないのか、自分で選べることでなし、選ばれたらしょーがないというところである、他人事ならば。


ちなみに、されどわれらが日々、は生きる意欲はどこから湧いてくるのか興味津々でも、森有正はいまいち性的なことに関心ない?ので、ピンとこないのであった。いや、最近ノクタヌーン読んでたりもするけど。

あ、はじめの一文が本文から浮いていますが、掘り下げようと思うのは次のネタでと言うか、相方に仕事が入って今日も会えなくて時間が出来たので更新してみました。本読め、自分♪