思考力を鍛える50の哲学問題
- 作者: 小川仁志
- 出版社/メーカー: 教育評論社
- 発売日: 2015/04/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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どっちかというと、哲学学的な総覧だが、総覧って私は見たことなかったのでほへーであった。
突然リベラルとリバタリアンの違いが分かったってこいつが元ネタである。
今日のネタは、隣に書かれてあったって気づかないよねというのと
センのケイパビリティ、
余裕があればコスモポリタニズム、リベラルとリバタリアンとコミュニタリアンかつーのを行きます
この本のアリストテレスの中庸は「共同体においては、周りの人と上手くやっていくために、欲張りすぎてはいけないのです」
うっこれって秋津が1週間前に書いた
一方で自分の正しさを疑うことができなければ、押し付け一色は自分と違う人を認めていないことで、大事なのは人の理想と自分の理想の調停だ。
押し付けでない調停をするのならば、自分の正しさ100%ということはありえないので、良いことも悪いこともある状態になる、のか。
とほぼ一緒やん。
ほぼっていうのがミソというか、人間、隣同士に書いてあることも気づかないことが多いよね。
逆に言うと、隣に書いてあることはまだ気づくんだけど、2つ離れたことは論理が飛んだようにも思って、腑に落ちない。
秋津の場合、みんなと上手くやるには我慢も大切というお題目は分かっても、他人を尊重することは理屈で分かっても、自分から進んでする、っていうニュアンスが分かっても感覚として落とし切れていなかったので、ぴんと来なかったぽい。
秋津君は隣にあることは時間を置いたら突破しやすい頭の思考回路が微妙に言葉を使うのと違う領域を使っているのだがって、うん、まあいいけど。
ちなみに、秋津君が、だらだら考えたことをそのまま書いているのは、あっちゃこっちゃ飛んでいるけど、あとから読み返したら、自分がそのことを考えたのはああいうわけだったからか、と読み返して気づくことがあるからです。直観バカにならね。
ロールズは、『正義論』において、自由の行きすぎに歯止めをかけるために平等を説きました。しかし、センにいわせると、ロールズの平等論は物の再分配にとどまっており、それでは物心崇拝になってしまうからだめだというのです。
つまり、同じものを与えられても、健常者ならなしうることを障害者はできない可能性があるということです。
したがって、むしろ求められるべきなのは、個人としての最も基本的なニーズである基本的潜在能力を実現することであるとしたのです。
つまり、まずは体を動かして移動したり、共同体の社会生活に参加したりすることが可能になるようにするべきだということです。
それは、人間がやりたいと思ったことは何でもできる最低限の状態を作ることを意味します。(略)
お金を配っても焼け石に水になるのは、センの理論からも明らかです。大切なのは、財布をふくらませてあげることではなく、その人自身の可能性をふくらませてあげることです。
ちきりんがアメリカの大学でだか気づいたことですね。
ポッケの
人類皆兄弟なのなら、助け合うのが当然のはずなのに。(略
コスモポリタニズムとは、世界市民主義とも訳されるように、国家の枠を超えて世界全体を人間が住む共通の場所とらえる立場です。このような発想をすることで、国単位ではなく、個人単位で正義や幸福を考えることが可能になります。
ストア派もこっちだそうだ。
finaventさんがリバタリアンは、他の国でも人権が尊重されることを望んでいるというようなことを言っていたような言っていなかったような、いかん、もう出勤時間だ。
つまり、コミュニタリアニズムは決してリベラリズムと相いれないものではなく、共同体の共通善と個人の自由のどちらをより重視するかという、程度の違いの問題なのです。
今日は考えのネタ編で、土曜日にでもふくらませます。ううう、ブログの時間がマジでとりにくくなっている。だんだんフェードアウトするかも