譲り合い

今日も今日とて酔っ払いでーす。

頭はあんまり働かなくて、だーらだーら適当なことを描き殴ります。

世界統一政府について考えているんす。

宮台真司は、[人を殺すな」ってルールはなくて「自分の共同体以外の人は殺せ」ってルールはあるっていうようなことを(適当)言っていたような、人が集まるのに敵を作るのは有効な手段だ。

世界統一政府になるってことは外部がない。

みんなが仲間であるというと、返って仲間以外は皆風景、になるかな?

橋爪先生が宗教の戒律は他の人との差を強調するといていたような、みんなが同じ風習を持つことはないにしろ、皆、日本国の仲間であり、皆、好き勝手に生きている。

好き勝手に生きる人のために、自分が不利益を被るというかちょびっと我慢しなければいけない画面もある。

関係ない他人のために我慢できるかっていうと、今、「牙狼―炎の刻印」が最終巻まであと1巻まで見たんだけど、というか、

仮面ライダーオーズというか、半径3mの人のために頑張れるか、関係のない他人のために頑張れるか、である。

牙狼のほうは、第二主人公の故国を犠牲にして、敵の絶対数を減らそうって、故国滅亡するかもやんけ。

こういうのの定式はというか、牙狼も嫁にしたいような彼女を失って、失うものの重要さがわかったというか、最初から人類のために死ねってドン引きである。

顔の見える君のために敵と戦う。守るべきものをはっきりと持っていて、敵と戦うのは手段である。

敵を減らすのを目的とする人は、なんだ、私生活が貧しい人で可哀そうな人っぽく偏見もあるが、これは私の育ってきたアニメ環境による刷り込みでもあるだろう。

私生活ってなんだろう?子供を産み育てるって何だろう?代わりのきかない人って何だろう?

他から見たら死んでも変わりのない人であるが、自分にとっては生きがいな人。

牙狼はそんな人を失って、こんな思いをする人がいなくなるようにっぽく、主人公は立ち直ったが。

自分の価値観(大事なもの)と他人の価値観(他人にとって大事なもの)の衝突である。

農家さんにユウタロスさんぽくも言われたが、子どもがいないと未来に対する責任がなくなっておかしくなる。

大事な人がいて初めて、世間の有象無象に対しても愛が持てる。

大事な人がいた経験があれば、思い出だけでもっていうのが永劫回帰なのか、愛を知った経験、愛が嘘っこではないと思える経験、

嘘っこであったら、大韓空港飛行機の爆破のごとく愛の存在を知って耐えられるのか的にも。

愛の関係を知らないのならば、ってイコールにもならないが、誰かにとっても大事な存在であるという自分がいない。

誰かにとっての大切な自分を国が保証してくれるのかとしたときに、国と共同体の響きはまた別である。

いろんな人を認める国は、私を認める国であるのか、マジョリティにとっては理解できない人を認める国で、マイノリティである私を受け入れてくれる国はありがたいものであるにしろ。

一つの国になって、みんなが受け入れられるということにはなるのだろうか、差別なく。

いろんな考えの人を一つの考えにって、いうのは危険で、いろんな人の考えをそのまま受け入れるときに対立構造がなくなる、のか。

いろんな人の正義を調停しようとした国際連盟国際連合、そのまま世界政府とならないのは、強制力のなさというか、

強制力は何を統制するものであるのだろう、とか、書き連ねるだけである。寝る。


(追記)
風呂に湯をためる時間にスーパーに牛乳を買いにって(散歩して)ボーと考えるに、自分にとって大切な人←→他人にとって大事な自分、は、他人と自分との「関係」があるってことだろうとは、橋本治の「89’」かぁー

関係っていまいち、引っ張ってくる引用文献がないのだが、というか、心の赴くままに書きなぐるのも楽しーのである。

自分の無意識の感じ取った問題点を、意識が整理して、何か出てこないか、ワクワク、みたいなー