既得権益の放棄は強制できない
世界統一政府樹立の障害は、マギで言うと、今までの恨みつらみを流して一緒になるのは難しいんじゃね、である。
私としては、関係ない他人のために我慢できる回路が成り立つのは難しいんじゃないか。
半径3mの人のために我慢できて、関係ない人のために自分を犠牲にする態度は何が危ういのか。
労苦をいつも進んで同じ人が受けるっつーのはイジメではないかというツイートを見て、まあ、そうだよな、と賛同した。
健全な関係というのは、持ちつ持たれつだろう。
もちろん、GIVEの5乗なんて勝間さんが言っていたけど、最初は自分のほうから与えないと向こうも与える関係にはならない。
それに、信頼、というのを社会が要求する面もある。
昔は共同体で見知った人とだけの関係であったのが、人の流動が高くなって、どうして知らない人のいる電車で刺されないと信頼できるのか、ぽく。
もっとも、このうまく回っている感は日本特有で、(中国人は買った商品をその場で発送するようにしてもらわないと安心できないって聞いたし、シリアなんてひどそう←偏見)
愛以前の関係だけど、薄い信頼を要求するのがすごしやすい社会で、(っと文意が変なので上の4行削ったほうがいいんだろうけど)人の厚意的なものといえば、やっぱり愛されたいのが人間で、自分のために我慢してくれる人にあこがれるので、他人のために我慢する人を称揚する回路があるんだろうな。
牙狼で、主人公は恋人(未満)が殺されて、こんな思いをする人がいないように自分を犠牲にする回路を発動させていた。
人から賞揚されないことをしなければいけないときはあるんだろうな、と思うけど、それは強制してできるものでもない。
って先進国が選択肢をあきらめたら発展途上国が豊かになるっぽくなったな。
世界統一政府の強制力は既得権益の放棄を強制できるものかというか、
見知らぬ他人のために、見知らぬから喜ぶ顔も見れない、作られた思い込みのために自分を犠牲にできる危うさというか、
合理的な人は虐殺をしないのか問題を思い出しつつ
ふふ、早起きできたので少し更新してみました♪