偏見をなくしていいことがあるのか
今日も今日とてお疲れさん、落ち込んでいて、長文を書きたいネタもあるが、そのまま忘れられるかも。
で、前回のネタの続きである。
偏見をなくしていいことがあるのか、とお題が浮かんで、そこまでは持っていくけど、結論は例によっていい加減である。
前回書いた正義の感覚とは、白黒はっきりつけて、反論を受け付けない状態のことである。
なにか指摘されたときに、ああ、それは××のことね、とする。
すでにあるフレーム(スキーム)に指摘を振り分ける。
いつもは、なにか指摘を受けると、本当にそうか、3拍考える。
事実をどの解釈にするのか、フレームを作ろうとする。
この仕分けの頭の処理は
- 作者: 西田公昭
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1995/08/01
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 50回
- この商品を含むブログ (17件) を見る
- 作者: アービンジャー・インスティチュート,門田美鈴
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2007/09/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 22人 クリック: 187回
- この商品を含むブログ (106件) を見る
は3度ほど読んだか。箱に入るな、人をものとしてみるな、ってことだったと思う。
ものとしてみると、あるフレーム(スキーム)の中での関係からはみ出さない。
ある人の発言を解釈することなく、色眼鏡をつけてみる。
まあ、偏見からは自由になれないのが真理ではある。
- 作者: 山本七平
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1988/08
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
色眼鏡をつけてみて、何がいけないのか。
頑なな人と思われていいのではないか。
色眼鏡をつけて、仕事で結果が出せるかというとたぶんそれは難しいと、利益に結び付けずとも、やっぱり頑なな人は、付き合える人を選ぶだろう。
付き合える人が多いと幸せということもないだろうが、たぶん、いろいろと指摘を真に受けると、疲れる。
あやまちを認めると気恥ずかしいし、なかなか人の業ではないだろうな。