存在しないけどしているもの

愛、信頼、友情などを目に見える形で、具体的に示すことは難しい。しかし、愛も信頼も友情も確実に存在している。

知性とは何か(祥伝社新書)

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こ、これは、私が解釈が難しくて放っているクリスマスストーリーだ

2つあります。一つは、ソロバンという存在は、本質的には想像上の存在であるということ、もう一つは、それを使うということは、想像を能動的に見ることによって行うことです。
 ここで強調したいのですが、二つ目の「想像を能動的に見る」という想像のプロセスは、思考のプロセスではありません。

 私たちは想像することで存在を生み出すことができ、また想像を能動的に見ることでその存在の力を働かせることができます。ソロバンは、私たちが持っている、想像の力の一つの比喩なのです。
 私たちは、想像を能動的に見ることで、想像の力を引き出すことできます。
 たとえば? 
 この世界に、本当の愛は存在するでしょうか? 本当の善は存在するでしょうか? あるいは神は存在するでしょうか?

 私は、これらは私たちのその想像で決まるのではないかと思うのです。
 想像によって存在を生み出し、想像を能動的に見ることによってその力を引き出します。

 想像を大切にしてください。
 それが私の雑談のメッセージです。終わります。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/12/finalvents-chri.html

朝一って頭が働かないけど、なんか出るかな?

愛、友情、善、神、とまあ、悪なんか。想像上の産物にして、人を動かすもの、動機?

僕は、たまたまそうなる結果である不条理に理由付けをするのはおかしい、と神を持ってくるのを否定する。

善意なるもの、悪意なるものの存在も、人がたまたま持っていたからと言って、神を持ってくるのはどうかと思う。

人の好意はその人から発せられたもので、


と朝書きかけたんだけど、とりあえず方向変えます。

人は悪をなすのに理由が必要なのか?悪を悪としてしているのではなく、何らかの言い分を持っていないと悪をなせない?

といつぞや書いていた。

自分の意図、と結果の予測関係はどうなっているのだろう。

思いもしなかったことが起こる、某氏は直属の上司の言うことを優先して専務の言うことを無視って首のきっかけを招いたのだがって、直属の上司は自分を正当化している、んだろうな。まともに向き合うのは重すぎる結果だし。

人が失敗するのを喜ぶ気持ちが全く無いとは言わない。

うーん、意図と結果が違うことに奇跡を感じる、かなー

愛がななかった、過去の積み上げから予測されることを機械的に優先する。

先のことは誰にも予想できず、判断の基準に未知を加える。

愛とか友情とか善とか。

こうなったらいいという願望にわずかばかりの自分の何かを賭ける。

捨てたつもりで、になるのかならないのか。

希望のない未来なんてうんざりだ。

(あーポエムだよ)

絶望しかない状況で明るい面を探せるのは大人だな。

信頼とかないとして行動するのも、子どもという気がする。

初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

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痩せ我慢の美学は誰もができないもので、しかし持ち場で踏ん張っている人は多いかもと思う今日このごろ。

フィリップ・ロスか、読んでみたいんだけど、読むと決めなきゃあっという間にブログ7年目。

痛みから逃げるのも人生であるが、引き受ける覚悟も正面切られると辛いかな。

どういう人でありたいのか、どういう社会であるといいと願うのか。