添削すべきか

‏mahito_osaka
しっかりした記事を書くと、時間が経っても自然リンクがつき続けることを改めて認識しました。更新頻度を維持するために当たり障りのない水増し記事を書くのは長期的に見るとマイナスですね。書くなら常に魂を込めた有益な記事を書く。できないなら更新しない。くらいの気持ちで良いのかも知れません

えーと今日もお疲れさんなので、手抜き記事るます。

finalventさんがリツイートしたツイートなのである。

本気で賛同してリツートしたのなら、僕ちん、finalventさんのファンなので、もうちょい添削します。

が、finalventさんは晒し上げとかなさる、少し毛色の変わったツイートもRTなさるので、本気にはしないよん。

が、しかし、自分でもこれ、論理だってないな(もにょん)みたいな文を書いている自覚はある。

ただ、論理だって書かずに、思うが儘に書く場がほしいというのがある。

言葉で考える前に手が動いている、みたくな記事を読んだことがある。

そりゃそうだろ。自分はなんか変な感触を言葉に変換している。

考える間に言葉→感触→言葉と変換している。

だいたい、言葉と言葉の間の論理が飛ぶ。

が、これをやると自分の考えがどんどん目的の会話から外れていく狂人なので、感触一つ分ぐらいで、感触の媒介を止める、つまりは考えることをやめている。

からして、秋津君昼間バージョンは全くもって考えが足りない。が、思考があっちゃこっちゃしているのを知られるよりましである。

で、この感触を広げるだけ広げてみようというのがブログの場である。

感触がどこまで思考を広げることができるのが、まあ本人的にはわからない。

なんか出ると楽しいな、である。

だいたい感触媒介は40分ぐらいが限度であり、そこでブログは切っている。

切った段階で添削するのはありなんだろうけど、この感触は、何を媒介として、論理いくつ飛ばしたか、感触の分析って結構面倒くさいのね、集中を要する。

普段の日にそこまで書く余力はない。書き殴りがせいぜいである。

火木土ぐらいで書いて、日曜ぐらいに特にひどいのを添削するのはありかもだけど。

うーんうーん、noteに添削バージョンを書くとか?

しかし、ブログに[書き直し版]なるタグは作ったが続かないというか、今も日曜に佐藤優の本を読んで、これは突っ込んどこうと思ったら、批判するなら穴がないようにと思ったら思うだけで疲れて、日曜から筆が進まないのはある。

僕が穴のない文を作ろうとしたとき、文体が偏屈がかってそれも嫌んだ。

正しいことをしようとする気持ちは、自分にとって忌避すべきものである。

もちろん、正しいことをしようと思って正しくできない、未熟な自分を自覚しなおすのも恥ずかしいし、中途半端でやっているという逃げは欲しい気持ちはある。

が、もし、まじめにブログを書いてPVが上がった暁には絶対ノイズが怖いし、(やっぱnoteか)

noteでなんかコメントとかもらっちゃったら、ぜってー一喜一憂するな(妄想入った)

今週3連休だし、「されど、われらが日々」読んで、七平の「金にならないことを追及する」を読み直して、月曜にでもなんかこの2週間のまとめでもって、私のブログ更新予定が実行されたことはないのだが