自ら神になる
質問
クリスチャンは縛られている。人間はもっと自由なのに。
回答
ええ、そうです。クリスチャンは神さまによろこんで縛られています。 その束縛は、愛の束縛です。 人間がもっとも人間らしく生きるために必要な、愛の束縛なのです。 あなたの言う自由だというのは単なる放縦ではないのですか? 自分の思い通りにすることが自由だと思っているのですか? 結局、それは「自分を神にする」教えにすぎないのではないでしょうか。
クリスチャンが聖書の教えに従う(従おうという意志を持っている) という意味では、クリスチャンは「縛られて」いる。 それは
「夫婦なのだから不貞をおかさないようにしよう」とか、
「親なのだから子どもをきちんと養育しよう」とか、
「C言語でプログラミングしているのだからC言語の文法に従おう」とか、
いうのを「縛られている」と表現するのに近い。正当な権威にしたがうことはよいことなのです。
http://www.hyuki.com/dig/dig2.html
自分を神にする教え、、、
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課題本が増える、、、
いいことをするのに、わざわざ神を持ってこないといけないのか。
何でいいことをしたいのか、よくよく考えたら根拠がなく、神のご意志が働いているからって分からなくはないけれど
カントですかにゃー(高知弁
参考サイトから離れると、良いものだから帰依する。
良し悪しを自分で判断するのなら、結局(今の)自分の考えに従っている。
本当に帰依するのなら、今なら分からないことだけど、教義をすべて飲みこめって、カルトっすけど、外国の宗教徒の知り合いなんておらへんので想像力が働かない。