ニヒリズム

僕は生きる意味を探している。納得できる生きる意味はかっこいいと思う。コロコロ変わるのも可。

選べる人生ということで、恵まれているんだか、不幸なんだかのパンピーである。

探しているったって、毎日、ご飯を作る努力をすれば、目標設定に、工夫に、達成未達成、の3拍子がそろえば、意味の一つや二つもできるだろう、とは思っている

(というか、先輩に「秋津は興味ないこと全然勉強しないもんな」と言われていささかショックである。ええー積読はしているつもりだが)

今日も今日とて落ち込んで、死にたいか自問して、どこまで悪いことが起きるか見てみたいよね、好奇心と思うだけの元気はありました。

いや、ぼかー周りの空気を悪くしたくないので、怒られて落ち込んでも外面はへらへらする悪癖があるのだが、先週、「ため息つくな、雰囲気悪くなる」と指摘を二度受けて、装う元気もなくなった、追い詰められ度がかなーり上がっているんだがって。

でも、何が起ころうと変わらない、という気持ちは常にあるからして、これはニヒリズムというんだろうか、というところで、

また、湯川秀樹が抱えていたかもしれない、ある種のニヒリズムがあるなら、それをどう受け止めたらよいのか。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2015/09/post-9f6e.html

完全無欠の教養人に思えた湯川(積読のみ)にニヒリズムを読み取れるのか?

明るい人には興味ない、人間、影を読んでみたい、ので、湯川博士の本を読む気が湧いてきた。

と、本屋にこの本を注文してっと、ただの日記です。