理由のない行動とヨブ記

昨日の脱社会的以降の文は宮台真司に引きずられている。

宮台先生、好きなんですよね。

最近の宮台先生が愛について語る理由もうすうす感じていて、仕事で自己実現できない大多数の層の生きる意味となるのはやっぱり愛が無難だからだろう。

(秋津君もそっちに転びそうです)

神が死んで価値観が多様化して、それでも生きるための愛、しがらみというか共同体というかで、「新しい古典を読む」とも繋がりありそうだ。

極東ブログにシステムの4つの段階的になんか書かれてような気がして、さかのぼっていたら、当たったのが「神様は、いじわる」の感想であった。

結果として子供を失い病になり、それでも神への信仰を失わなかったヨブか。

理由のない信仰。

何を信じるか、理由がなくとも、というわけで、理由のない行動は性格によるのか、と書いたけれど、信仰とは何か、とも近接していそうである。

あまりそっち系の本を読んだことがないので、というか現代のヨブ記、4年ぶりに読み返すのもありか。

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

以前3度目に読んだときは新しくも感じなかったのだが。