意思すること
予備校講師の出口さんや細野さんも考えることは論理と言っているような言っていないような、
大学時代に出口さんは読んでいるけど細野さんは読んでいない。
オリジナルなつもりで読んだことを忘れているだけだったんだろうか。
誰も気にしていないと思うからいいけど。
本屋で5桁使った。頼んでいた雑誌だけ買うつもりで、3冊だけ単行本買うかなと思って、ポイポイとカゴに放り込み、
農業の棚を見たら、これ読んだほうがいいかなと思ったのが2冊。
兄弟に「秋津が貧乏なんて嘘だ」と言われて反論できない、少し自制心のなさに落ち込む初秋の日だった。
いやホンマにお財布厳しいんだけどさ。
それはともかく、誰かから影響を受けたのは確実なんだが元ネタが思い出せないことに「意思すること」がある。橋本治か?(今日、負けない力を買ったので本屋ネタが散った)
結果なんて自由にならないことは思い悩んでも無駄である。
自分が選ぶことが出来ることは、何かをやろうとする/やめようと意思し、行動することだけだ。
人間、あんまり選択肢なんてないけど、意思することは出来る。
って、マスターキートンリマスターを読んでゾゾゾとして、日本のあまちゃんが言うことなんだけど、
生きる意味とは、実現したいこととがあっても既得な利益?と板挟みになって、自分が痛みを(不利益を)伴う行動をしたことに依って、その痛みこそが生きる意味になるのではないか。
流されて何も選ばずに意味が生まれるものなのか、考えている。
易きに流れるというのは、ついついやっているけど、秋津くんの価値観的にあんまりいいもんじゃないのね。どこで覚えたんだろ?
何冊か本を読んでと言うか書きたいことネタも溜まって、大作書いたろーかと思ったら、粗筋を頭の中で書く作業で書いたつもりになって筆が進まないのでお気軽更新してみました。
(追記)
案外、finalventさんかなと思わないでもない。
ちなみに、考える事=論理ですが、原因と結果の法則という本の題名を見て、あーやっぱり俺の考えることなんてありきたりなんだなと思ったのは在学中で、そこから論理という仮定に達するまでまた数年かかっていた、はず
ちなみに、独善的な考え方と自分の考えがあるの違い(というブログ記事の題名を見たけど私的に結論のでていることなので続きを読まなかったんだけど)は
論理の問題だ。起こる確率の低いことを繋げていったら(風が吹けば桶屋が儲かる理論)、説得力がない、その程度のものだと思います。
広い世界を知ろう、的。
でも負けない力を読んだら、試行錯誤しようとすることが自分の考えを持つことである風味だったけどな
考えようとしない子と独善的な子とどっちが成長可能性があるかと言ったらどっちなんだろう?
(追記の追記)
意思すること、という言葉は極東ブログにあったけど、かなり中身は変形されている