理由のない行動は性格によるものか

最近彼女と見ているのが、

人間を魔物から守る騎士であるレオンくんは、生まれつき騎士であるからして、なぜ守らなければいけないのか、理由付けが甘いなと思っていたら、案の定暴走してました。

人間はいいことも悪いこともするからして、いいことをするから守る、と思い込んでいたら悪いことをせられた場合の落ち込みが激しい。(とレオンくんは母親の復讐のための理由付けが大きいけど)

なんとなく、

のスパークくんを思い出したりして、スパークくんはお題目を信じすぎて、6巻は騎士隊長にはなれないところから始まる(ったような)。

武道は型を叩きこまれないといけないけど、それ以上は融通無碍と宮台先生が言っていたような、

お題目はあったとして、それは完全なものではないのを知るのも奥義への道か?

平和である、ということは複数の国で火種がありつつ戦争が起こらないこと、とfinalventさんがツイートしていたというか、

一方的に悪であると断罪できるような状況はない。

それぞれ人には言い分があって、盗人にも三分の理だっけ?

理があるのならば、それを3分と思うか、8分と思うかは人次第だ。

人がいいものであるから悪をなさないの対偶は悪をなすのは人がいいものでないからだ、と一緒の物差しの両極端になるんだったら、(すまん適当)

反対の意はいいものであっても悪いものであっても気にしないので自分も人に対して、気分次第でいいことも悪いこともする

(と自分でもよく分からないことを書いています)

人がいいものであっても悪いものであっても(理由はどうあれ)自分の為すことは変わらない、にまでは飛躍があって、

そこで、自分の為すことは変わらないのは過去、いい思い出があったからか?

ってこれは、夫婦がどういう変遷をたどるのか考えたらいかに無謀かがわかると言いつつ、

同僚の70代の父母は、父が退職したら母は離婚すると言っていたのに、いざその段になると別れると父が可哀想だからと取りやめた母親だそうだがって、

結局、過去されたことをどう受け止めるかはGな因子のなせる技なんだろうか?

理由がなく、ある行動を取れるって、性格か?

ぶっ飛んだ聖人も悪人も社会の規範から外れている点では脱社会的で同じだと宮台先生が言っていたな。

理由のないこと。

と言いつつ結構、普段の行動にいちいち理由はないような。

とか、ちょびっとレオンくんのお父さんのヘルマンがどうしてそう人間に肩入れするのか、これからたぶん描かれないとはおもうんだけど、

と、そういえば、そもそも自分は悪が何であるのか、設定できていないので(盗人にも理があるのならば、理由なく人を陥れることが出来る人か?と言えば理由なくいいことができる人は私定義では奇跡になってしまう)

なぜ人は人を殺せないのか、そうインストールされているから、とするならば、理由のない行動は社会としては排斥すべきものでもないが、社会として望む方向にならば、社会の成り立つ限りにおいては、

で、一部の言い分もない平和(意見の統一)を目指すとかえってそれは平和ではないのならば小競り合いのある多様性を望む。

破綻しない程度の多様性、理由のなさも社会の一部とさせるための、システムの設計、なのかなー(40年遅れ)

この段のオチはない。