人間の条件とは?

ボンバーマンジェッターズなるアニメで

最終話、悪の心をふっとばされたロボットは死んだ。

これは、ROMを入れ替えたら、性格が善悪全く違ってしまった量産ロボットと違い、「人間」であったことを示したんだと思う。

入力に対する出力が常に決まった答えだと人間と言わないのか。

先が読めない、未知であることは、生物の条件なのか。

いや、ミジンコとか、人間だって寝たきりの人はいるわけだけど。

情報を与えられて、簡単に操作される人もありきたりなわけで、というか、将棋のプログラムがどうやって人間に勝っているのか(負けたりもしたけど)、思考ってなんだろう。

僕が病気から治って4年後、病気しなかった僕がどのようであるか、想像しようとして、焦点が結べるわけない。

あらゆる可能性があるのが人間かというと、60才の人はどうかと言われて、伊能忠敬とかいるわけだし、遅いということもなしか。

で、可能性なのであるが、予期できないこと、とすると、あまりに予期できない人、道である人とういうかロボットというか異星人は人間だと思われない気がする。

逆に、することなすこと機械的に一定のパターンから外れないと、これまた人間だと思われないような気がする。

とか読むと、入力に対して出力のパターンは結局頭のいい人は読めるのか。

いやはや、人のパターンが読みきれない私の頭の悪さが愛おしいのであるが、究極的に見れば人の性格はパターン化されるような、そんなものなのだろうか。

エニアグラムで分かる 9つの性格 (magazinehouse pocket)

エニアグラムで分かる 9つの性格 (magazinehouse pocket)

むむ、可能性と未知であることと信用できることの線が難しい。

変化するのが人間であるか。というと、変化する可能性があるのが人間のような気がして、結局は自分の殻(パターン)を破れない人がほとんどであるか。

思考回路を強制的に変えられないものでもあるんだろうか。

人の頭の容量のなさで個性があるように思えるだけか。

やっぱり将棋ソフトが人間に勝つには、の本を読んでみたいなー

日経の読書欄で特集されたのを切り取ってどこに置いただろう?

人の思考パターンを読まれる、限定されたものとして扱えるんだろうか。

無駄な手を打つと勝てると聞いたような、であると、思考回路が合理的でないことが人間の利点、しかしそれは盤の上だけの勝負だからして、

でも、様々な環境に適応するには様々な個性が必要なような

カモメになったペンギン

カモメになったペンギン

を読むと、5つは確実にありそうなような、逆に言うとそれ以外の個性は発揮される場所がないのか。

役に立たない形質が顕在化されるとき、というと、やっぱり様々な役に立たなさを秘めるのが人間なのか。

パターンが有るようで環境が変われば変化する可能性を捨てきれないのが人間なのか

無駄をプールできるのが、人間種の利点なのか。


えーと、最初のほうで、信用とか言っていたのは、私の課題として、同じ人間と思ってもらえないとやっぱり辛く当たられるのかな、というのがあって

(宮台先生の言うところの味方のために敵を殺せというルール?)

じゃあ、上流階級が少数民族だったりとかしたりすると、同族意識はなさそうで、多数と仲良くはないだろうけど、国家は暴力を専有するのか、マルクス?読んでみたいけど、敷居高すぎだな。