何者にもならない決断

そこで私が彼らに向かって、「もっと楽になったらどう?」「競争なんかやめたら。というか、もう「男」の土俵は君たちにはないから」「結婚できなくたっていいじゃない。男同士で助け合って暮らせば?」と言えるかいうと、なかなか言えない。「男」を降りて、つまり仕事で頑張らず、「何者かになりたい」という夢も持たず、恋愛も結婚もせず、それでいてルサンチマンを抱かずに楽に生きるための、具体的かつ有効な処方箋は提示できないのである(やれている人はいるのだろうが、汎用性があるかどうか疑問だし)。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100117/1263733408

と、5年前の記事を見つけた。

ピングドラムを先取りしている、と、5年後の今、若い男の状況はどうなっているのだろう。

ペトロニウスさんいわく、選べることが大事なのか。

やっぱり、選択肢がないと、ただの負け惜しみで、競争から降りることに痛みを覚えるだろう。

私っすか?私は、来年度は夜間高校の聴講生になってやろうかと目論んでいます。

将来のための資格勉強と秤にかけ、まあ、週に3時間ぐらいは視野を広げる方が将来的にはためになりそうだし。

統計と経営、余暇時間はどっちの勉強をするか迷いつつ、好き勝手です。

大野さんの処方箋は

それに替わる言葉になるかどうかわからないが、授業の最後では、女であろうと男であろうと、若いうちに三つの自立を目指してくださいと言っている。

一つ目は生活の自立で、自分で自分の身の周りのことはだいたいできるようにする(衣食住に関わる家事全般)こと。

二つ目は経済の自立で、自分で自分の食い扶持は(少なくてもいいから)稼ぐこと。

三つ目は精神の自立で、自分の生き方は自分で決め、一人でも楽しく生きられるようになること。

もちろん、これが三つとも楽々できる人は「強者」である。一番目はともかくも(ただし健康体に限る)、二番目はがんばってもギリギリか状況によってまったくできない人はいるし、三番目は言うは易しするは難しである。だから最低限、生活の自立だけは成し遂げ、経済面と精神面は時と場合によって他人と支え合っていくのがいいと思うよ、と提案する。

ここに来て「自立」がキーワードになるんだろうか。

finalventさんの本は何者にもなれない人の処方箋だった。

私は、病気になったとしても、自分を信頼できる生き方をする目標を立てるのは、食い扶持の有無に関係ないだろうとも思った。

私の重視するのは3つ目だな。他人と支え合う、なんてことさえできない人を想定していたりもする。


これまたペトロニウスさんに引きずられているのだが、ペトロニウスさんには1つ目の観点がない。

そもそも、僕には、この厳しい競争の社会で、子供が生き抜くことを教えることが親の使命だと思っているので、その場合は、サバイバルに必要なポイントは2つです。一つは、1)まずは金を稼ぐ力。社会で生き抜くための立場を競争で勝ち抜く力です。そして同時に、これは斎木雄大(リリー・フランキー)の家族の方で示されているのですが、2)人生を受け入れて楽しむ力です。この二つはどっちがかけても、人生は不幸になりやすく、自立して生きてはいけません。
(略)
本当の豊かさとは、選択肢があることだ、と僕は知っています。


成熟も成長も、どっちも選べるし行ったり来たりできるのが、真の幸せです。なので、どちらかが「真の幸せだ」というイデオロギーは害悪あって一利もありません。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150201

んー、やっぱり自立か。


私が考えているのは、選択肢がなくなっても(稼げなくなっても)幸せになるにはどうしたらいいのか、だから、ない選択肢の中でどうやって選択肢があるように見せるのか、か。

私なんぞは毎週日曜の夜に週のアフター5の予定表を書いて、それが実行できた/できなかった、で選択肢を意識しているのだが、やっぱり経済的な自立はしくはなしか。

で、大野さんは橋本治の本を引用した。

これも男の生きる道 (ちくま文庫)

これも男の生きる道 (ちくま文庫)

「自立」がむずかしいのは、「人に嫌われる」という第一関門があるからです。人に嫌われて、それでも平気で自分の生き方をつらぬく----- それが「自立」なんだから、「男の自立」だって、当然「女に好かれるために家事をする」ではない。方向としては、その逆です。「男の自立」は、「女に嫌われても平気」という方向にしかなくて、するんだったら、女に嫌われるために家事をする ------ これが「男の自立」の方向でしょう。

 その昔に「自立」を目ざした女達は、"自分の仕事"を持とうとしました。「仕事に生きる女」が男に嫌われるものだということを知りながら、それでも彼女達は"自分の仕事"を持とうとした。「自立」とは、「"人から嫌われる"という関門をくぐって魅力的になる」ということなんだから、これはしかたのないことです。「男の自立」というのは、そういう関門をくぐって魅力的になった女性達が言い出していることなんですから、そのことをきちんと学ばなければなりません。

 「家事というものは女がするものだ」と思っている男がいます。彼は自分の身の周りのことを全部女に任せているから、家事なんかできない。こういう男が女に嫌われたら困ります。エラソーな顔をしていても、「家事ができない」ということが弱点になって、そのうちに女の言いなりになってしまう。ところが、自分で家事のできる男だったら、別に女に嫌われたって困らない。逆に、「お前は家事以外になんのとりえもない女か」と言うこともできる。だから、身の回りのことを盾に取られて女の言いなりになる必要はない。「家事」という能力があれば、女に嫌われてもこわくない。これは、「経済的に男に依存するだけの女に自立はできない」というのとおんなじです。

(中略)

つまり、「結婚して家事をするのが当然だ」と思われていた女の自立の方向が、「いやな男の言いなりにならないために、働いて経済力を持つ」だったのと同じように、「働いて家事をしないのが当然だ」と思われていた男の「自立」の方向だって、「いやな女の言いなりにはならないために家事能力をつける」になるんです。


「自立」とは、ただ「まともになろう」とするだけの戦いである


 というわけで、「組織の中に"卑怯"がある。そのことを指摘しても、なんだかんだ言われて無視されてしまう」という「戦い」はもう始まっています。この「戦い」に勝つためにまず必要なことは、「敵の把握」です。「一体まわりの人間達は、どうして歴然と存在する"卑怯"に対して目をつぶろうとするのか?」を考えなければなりません。

 なぜなのか? この答はもう言ってありますね。「日本の男達は組織べったりで自分の意見を持たないから」です。みんな「右へならえ」で、「まわりが沈黙していたら自分も沈黙する」が、日本の処世術です。でも、あなたはそんな現状が嫌だ ------「いやだ」と思ってしまった。だからこそ、あなたはもう「戦い」の中にいるのです。

 あなたは「まわりの人間は卑怯だ」と思う。そう言っても、まわりの人間は聞き入れてなんかくれない。既にあなたの戦いは「劣勢」で、敗色が濃厚になってきている。そうなったらどうするか? 道はたった一つ、「まともになってやろう!」という決心をするだけです。

(中略)

そういう状況の中での「戦いに勝つ」には、「なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる ------- そのことを押し通せる」です。「なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる」-------- このことこそが「自立」で、「自立」とは、「戦い」が成り立たなくなった現代に唯一残された「戦い」なんです。

(中略)

 現代では、「生き方」に関するシビアさがなくなっている。でも、人生はいつだってシビアなもんです。別に「自立」はめずらしいことじゃない。そんなこと、ずーっと長い間、男にとっては当たり前だった。「男の自立」が言われるということは、「人生はシビアだ」という事実が復活しようとしているだけのことなんですね。

自分の信念を持つことは、人から嫌われることで、

人から嫌われても平気になるには、自立することが必要である。

おや、私は

自分は生きる価値がないと断ぜられるのに、自分一人で開き直るのは難しい、だって自分はジャッジされる側であるのだという時に、寄り添ってくれる神谷さんはとても大切なのである。

肯定される他人がいないところで、「甲斐」が大事だと言っても負け惜しみになってしまうのである。大概の人は社会的な生き物なのである。

http://d.hatena.ne.jp/akizu/20150118/p1

と書いちゃったのである。

そりゃ、孤高の巨人、橋本治は孤独であることを引き受ける強さがあるだろう。

空気があまり問題にならない(?)西洋人は孤独の度合いが深いのであるか。

ところで、ネットであれば、少数者が肩を寄せ合うことも可能であろう。いずれ離れる場であっても、場があった記憶がある/ないでは、孤独に向かうエネルギーの有無に直結する。

人生がシビアであることにも向かい合えるだろう。

しかし、人から嫌われることを承知で自分の中の思いを育てられるのか?とすると、神谷美恵子の「生きがいについて」で救われるような、孤独に叩き込まれる人もいるわけで、孤独な人は信念を持つしかないか(って青空人生相談所で、いじめにあった子の回答か←ちょっと違うが関係ありそう)

生活の自立は、サバイバルに含まれないのかも含め、ボーと考えてみる。

人生は生活の積み重ねであるのに、金を出して解決できることでもあるのか。


[追記]
白河: 働き方の本を読んでいると、結婚に関するヒントがすごくたくさん出てくるんです。「自立するっていうのは、他者とともに生きることでもある」と。だから、「社会の一員として人間関係を築きながら生活するっていうことが自立」だと。人間関係を築くということの中に、多分、恋愛とか結婚も入ってくるんだと思うんですね。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38813?page=9

でも、当のイクメンやワーキングママたちの話をいろいろ聞くと、やはりまだまだ仕事と家庭の両立が難しいという現状があるんですね。本人たちの意識は随分と新しくなったんだけど、やっぱり働き方の問題が大きい。帰りづらい、休みづらい、っていう職場のムードですね。日本人は「協調圧力」に弱い。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41671

それは僕らがイクメンプロジェクトでやってきたことと同じです。僕まず「父親を楽しもう」って言ってきたわけですね。育児というのは義務ではなくて、ポジティブなライフスタイルなんだよということを伝えていきました。(略)

人が育つにはロールモデルをちゃんと見せてあげないとダメだと思うんです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41671?page=3


確かに、夫がバリバリだと妻にしわ寄せがいって、生活というのが成り立たない。子供が二人目産めないのは金の問題もあるけど、夫の協力の有無も大きいそうだが



男への要求(仕事+家庭+子育て)水準が引き上げられるとともに、ハードルを超えられず「淘汰」される男が増加しているわけですが、女が「仕事+家庭+子供」のすべてを得られるようにしたことの反面です。
http://totb.hatenablog.com/entry/2014/05/17/204346
ちきりんが趣味と家庭と仕事の3立はできないってたな。

家庭が視野に入らないのは男性特有なのか。

アメリカでも出世した女性には子供がないとあったような、生活の維持ってーのは?