獣の奏者Ⅲ,Ⅳ

○小さな争いを繰り返していたら大きな争いは起きないか→灰色の魔女の問題

人が死ぬことは良くない。私は分かっていても定量の問題じゃんと思う。

4巻の惨事も広い目で見たら、王獣やとうだをあきらめるぐらいの重大事になるのだろうか。

惨事の規模はどう見ても数百人、数千人の規模で、これから、王獣やとうだを諦めることで生じる戦力低下、とうだの代わりに戦死する人のことを考えると、べつにね〜使いどころの問題じゃん。

真王の始祖は制限のある飼育方法で王国に数百年の平和をもたらしたんだよ。何と何を比べるか、だよな。

Ⅰ巻、Ⅱ巻のほうが好きだったな。同様にエリンが息子に王獣が怖いことを思い知らせる場面がすっげ〜良かった。

私は不可能を思い知らされる話が好きだ!

それと比べてⅢ巻、Ⅳ巻は、作品のテーマとして、ピンとこなかった。

私は、人は喉元過ぎれば熱さ忘れる生き物だと思っている。その考えに変化が起きなかったし、その対処法がきちんとなされているとは思えなかったので、収穫はなかった。

どうせ王獣の飼育はまた誰かが始める。それが遅いか早いかの問題で、ジュシが遅くできることをしているとは思えない。とゆ〜か、王獣の飼育を自分たちの代はやめてもその後も安穏とその状態が続くと考えているところに違和感を持った。その対策法に不満がある。

自分に実感のない昔話を聞かせて分かってもらえると思うノー天気さがどうも。

自分で試行錯誤して、限界を意識させることの大切さ→エリンなんて規則を一気に飛びこしちゃったわけだし、自分のかーちゃんみたいな子にどう対処するか、全然考えてなさそうなんだもん。

頭ごなしに悲劇が起こるからだめって言ってもさ。微妙に書いてなかったけど、王獣の飼育方法は伝えないんでしょ。

なんとゆ〜か敵国語を排除する姿勢は日本人の限界を見る。

ソードワールドの魔術師なら、危険な思想もため込んでいたんだけどな。

獣の奏者 上橋菜穂子 講談社 2009