夢の守り人

魂と順応性と人生の破綻の関係について色々考えた。

あとがきだけ立ち読みしても得るものは多い。

   ○「売春は魂に悪い」のか

私は私の身体と記憶を持った人がいれば、それは私になるだろうと思う程度には唯物論者だ。

だけど、生まれたときから他の誰にも干渉されない心の性質があると思ってて、そのことを魂だと思っている。

この本は、今と違う人生を想像することが繰り返しかかれる。

それは決められた農民の暮らしを持つ少女や、用心棒として母親としての道を求めないバルサもふと想像することがある。

バルサも望んでこんな生活になったわけではないが破綻していない。

過酷な人生も順応できたと言う意味では悪くなかったのではないか。

「売春は魂に悪い」といわれて、「売春」の代わりにどんな言葉を入れて「魂に悪い」と成り立つのか。

「魂に悪い」とは漠然としているが、一時は良くてもそのうち人生が破綻する選択、人生のトラップとは数多くあるのか。

普通の人生にも陥穽が待ち構えているような気がするのだが実際のところはどーじゃろ。

でも、破綻のない人生というのもつまらないかもだし、破綻してもそれはそれでよいのではないかと思うんだけど。

魂と選択と人生の結果について、因果関係を書いた本を探そうと今後の方針が明確になったのは収穫でした。

   ○あとがきについて書きたかったが力尽きました

あとがきについては触れないよん。

それから、人生の選択って先が見えてない、予想と違う結果になるから恐ろしいんだと思うが、この本では選択のほうが重要視されて、結果の恐ろしさは書かれていないのがちょっと残念。

呪い師のなりそこないもいると思うし、いつかそっちをかかれるのを期待したい。

それと、賤業としての用心棒、呪い師の差別はかかれてなくて、(もっとひどくなければいかんというこだわりがあって)ちょっと不満かな。

夢の守り人 上橋菜穂子 新潮社 平成二十年