この世でいちばん大事な「カネ」の話

子どもに読ませるためなら(いないけど)、倍の値段出しても安い。

同じ日本に生まれているのに、カルチャーショックを受けた。

貧しさが連鎖し、逼塞した人生を歩むことになるのか中学生時分からわかる環境なんて想像したこともなかった。

豊かなら豊かなりに苦しい。という言葉が真っ向から否定される。貧乏が本当にありとあらゆる可能性を奪うことが書かれている。

貧困の底で、人は「どうにかしてここを抜け出したい」「今よりもましな生活をしたい」という「希望」を持つことさえつらくなって、ほとんどの人が、その劣悪な環境を諦めて受け入れてしまう。

そうして「どうせ希望なんてないんだから、考えたってしょうがない」という諦めが、人生の教えとして、子どもの代へと受け継がれていく。

宮台真司が宗教とは偶発性を馴致するためにあるというようなことをいっていたような気がして、私はそれに(なぜか)めちゃくちゃ感動して、鵜呑みにしている。

人間なら意識して当然の、その偶発性を不思議に思う意識、宗教を持つ自由さえ、生まれた環境によっては存在が許されない状況があるかもしれない想像を始めてした。

私は偶発性のことを神様と呼んでいる。しかし、神様にご降臨願うのは偶発性を楽しめる余裕のあるくだらないことだけである。(エアロバイクの抽選に外れたのでフットネスクラブの入会手続きをしました)

西原理恵子は貧困のスパイラルから逃れたことで神様がいるかもしれないと書く。

あるべき流れから外れた偶発性への感謝の念を持ったことがなく、偶発性を楽しむことができる環境におかれた自分の幸せを思った。環境を大事に活かさなくてはいけないという気になった。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 西原理恵子 理論社 2008