欲望と安心と比較

「この世は弱肉強食」とは志々雄様の弁だったか、自分の意志、欲望の実現は欠けることなく実現されるというはほとんどない。

他の人との妥協の産物です。

なんつか、全能感に酔う瞬間が僕にもないとはないと言えないけど、そのグラグラとした感じ(?)自分が無理を言ってるって感じがして、結構怖いっす自分は。

ほどほどが良い。ほどほど。


未来はわからない。

20年後に日本はどうなっているのか、土地あまりか?AIの失業者と、人口減で子供の時求人倍率どうなっているのかわからないつか、僕の職場、あるのだろうかの不安はある。

2,30年前は商社が冬の時代か、今の人気一番か(?)、今の銀行が30年後復活しているかって、未来はわからない。

ええ、AIにも地図が必要ならパイオニア株を宝くじ感覚で買うべきか、とか。

今の先は見えないので宝くじにすぎない、捨ててよい金で買うとなると、そんなに買えなく、将来もし値上がりしたとしても、家を変えるほどには全く届かない。

不安はあって、できるだけ保険が欲しいのか、アパート投資か。カボチャの馬車になるのか、持てるものを銀行に預金するがましか。インフレになるのか。

先はわからない。ほどほどって何なんでしょ、というか、安心できるリスクとは何か?

安心できるとは何か?

何を失うことになるのか、はっきりわからないから怖いのか、いやー相方が宵越しの金は持たない主義か、(ええ、僕のほうが、主な家計管理をしているんだが)

手に食あれば、つか、どんな時でも何とかする自信があればなんとかなるのか、考え込んでしまうんだが。

食うに困ることにはならないんだろうか?

我が家、少なからぬお金を毎月貯金して、何のために?とか思わなくもないってなんかずれた。

他の人と比べてのほどほどなのか、何か絶対的な基準があるわけでもない、絶対的に欲しいラインがある人って、ああ、僕は物欲ない世代なのかなーでした。

なんでも買えないわけでもない。。車もインプレッサかっこいいなーぐらいで、しかし大きいとぶつけるからいらんしなー家で1000万はいるかなーとか、1000万する時計のメーカー知らないしなー無知って幸せです。

知らないから幸せなんだろうか、比較ってことなんだろうか。

何か強烈にしなければならないcallingもなく、強烈に欲しいものもなく凡人っす。

不愉快な目に合わない幸せか?


後段に信頼について考えるつもりだったけど、なんか飽きたので、また今度。