結婚してよかったこと
大学生になったときの、新しいルールに適応しようとする気持ちっつーかぐらぐらな気持ち、監禁されたら犯人のことを好きになるなんだっけ?の気持ちつーか、わかる、何となく。
信じるものがなくなって、こうすればこう、みたいな法則がわからなくなる。
ソ連が崩壊したとき、ソ連の人たちの気持ちかなーというわけで、小室さんの本は流し読みの秋津君です。
何つーか独身35歳(ごろ)のむなしさっつーか、何も引っ掛かりのない日々を思い出す。
何も変わり映えがしない。法則がわからなくてアノミー、でも、法則がわかりすぎてもむなしくなる。
決まりきった毎日は、私がどうであれ、進んでいく。
35歳って、まだ親も元気だし、行政の世話にならない単身者っつー意味では強者だったんだろうと思う。
欧米人が、独立してからは教会に行かないけど、子供ができるとまた行きだすっぽいのどーなんでしょ、子供ができると付き合いも増える。
やらなければいけないことが増える。
自由すぎた身には心地よい。頼りにされてる感?
人と一緒に暮らすと、こいつが何するか分からない。
私の都合の良いことをしてくれるか、不愉快なことをするか、一喜一憂して飽きない。
関心ごとが増える。
で、良くしてくれたこととか、嬉しいわけです。
嬉しさの積み重ねで、こいつ、大事な人だなっぽくなっていくの。
ベントさんは愛した人に何されようとしようがないっぽく、僕はいまいち愛が分からない気味だけど、積み重ねた思い出で、ま、いいか、でこいつのために死んでやると思えるようになるのか、何となくわからないでもない。
愛したっつーのは自分の動で、思い出のためにって受け身っぽくもあるけど。
良かった思い出があるのなら、この後どんな思いをさせられても許すのか、は僕のテーマである。
その時になってみなくてはわからない。まいいかとなるか。が子供と暮らして、結構僕は平気だってふーんと思ったが、不愉快耐性値高いっぽい。
やらなければいけないことは、やらなければいけないこと、の人です。
やらなければいけないことがはっきりあったら、かなり生き生きしてしまう(?)と気が付いた。
子どもがひどすぎる2割の手のかかりようでなかったのはあるにしろ、義務ラブラブっこです。
と、結婚してよかったことを考えているっす。
僕はくだらないけど、僕のために何かしてくれる人がいて、嬉しくて、僕も何かさせてくださいっぽいの、自分から愛するというのに比べたら受け身っぽい。
でも、家族って交流があって、それがほっこりさせる。
僕の一つ一つの行動の影響がわかるというか行動が大事になるというか。影響を与える僕自身の大事さが分かってくる。僕がどうあれ周りがあるとはならない。
責任があるってことか?
ありのままの自分を愛してもらいたいとは思わない。
そんなもの醜い。でも一方で作ってばかりだと疲れて続かない。
素になる時間もあって、少しばかり(?)わがままを言う時間があって、向こうも不愉快に耐えているとは思うけど、お互い、相手の不愉快が耐えられる程度だったんだと思うの、結局、自分ではどうにもならない相性が良かったんだろうな(?)
友人Aは一つ相手のいやな点があると、相手のすべてが嫌になると言っていたが、僕は相手のいやな点、、、なんだろ、ぱっと浮かんでこない、忘れっぽさというか、相方の負担が大きいかな?
電気つけっぱなしとよく怒られるけど。
ふ、のろけです。
周りに影響のある僕、たまにはわがままを聞いてもらえたり気の使わない瞬間もあって、と結婚するといいことです。
あれ、何を信用するのかっつーの、別に相方をずっと信頼しているわけじゃない。でも、大切な思い出をくれた人で大事な人というカテゴリーに入ったつか。
相方のすることを信頼しているのでなくて、大事な人であることに確信がある。信じるものがあると救われる、アノミー、バイバイっす。
信頼ってはじめから、信頼する・しないであるものじゃなく、行動の積み重ねで、でも将来を保証するものでもない、行動の確率を高めるだけ。
確率が高まっていくと、というか、うーん今日の頭を使うエネルギーは使ったので、ここまでっす。