自己愛養分説
他人に対する愛と自己愛の関係かーと、
最新のプリキュアは、他人を愛することと、自分を愛することを同列に置いているんすかねー
とか、7つの大罪をやっと3回目見たんですが、ゲームのCMが××さえいれば、世界が滅んでもいいとか、ヒロインがメリオダスがどんなに変わっても側にいるから、系のせりふを吐きまして、
ああ、それって、自虐の詩っつーか、過去の美しい思い出のためにどれだけ我慢できるか大会かー
自分も愛はよくわからんとです。
転勤族で、人とは通り過ぎるものだ系の感覚をしていて、長い間続く関係がよくわからないので。
恩の交換を大きくしていくことが関係を作ることだとは思います。
昨日の日経の東浩紀さんの記事を読んで考えるところがなかったわけでもない。
いいねをぽちっと押す関係が困った時に助けてくれないし、さくっと忘れられるだけのもんで。
まあグラデーションというか、人間、軽い関係も重い関係も必要で、どちらか一方だけっつーこともなしで。
ただ、重い関係は確かにコストがかかるんだよなー
オリンピックのボランティアを嫌うのは僕としては嫌いっす。
ただ働きから始まる関係というか、与えられた恩をそのまま返すことだけをしていては、雪だるま式に関係を深めるとはなかなかいかないもんな。
って、佐々木さんの新刊を買わねばとも思っているのだが、関係を作るっての、相手に利益を与える関係が続く関係であって、
自分がやりたいこと、言うことを押し付けたら続かないっすよねー
僕も知識をひけらかしたいほうなので、猛省したっすが。
で、元に戻して、我慢大会でも、好きならええやんかというか、過去の思い出を救いにして、自分を支えるものにして、自分の否定ができない風味にしてしまうのかなー
ってか、DVかな、よく分からんとですが。
雪だるま風味に言えば、返しきれない恩はあるかもですが。
でも、相手に望むことを全く言わないってのはどうなんしょ?
自己愛がないってので、健全な関係ではなくなるか?
健全な関係とは何ぞや?
与え与えられ、になるのか(プリキュア見たいかなというか自虐の詩も見てないけど)
与える体力は自己愛からか?自尊心?
橋本治が人が立ち直るにはキッツい愛が必要だ風味なことを人生相談で言ってましたが。
まっ、いっか,で済むことしか我が人生で起こっていないのか、人生のプラスマイナスに目くじら立てるの、何となく苦手なんですが。
それが僕の人生さ。しょうがないさね。
努力できるところは努力してそれでだめならしょうがないっすね。
と、運命ってか、結果として立ち現れてくるもので、結果はどうあれ自分で行動できないことは何にもない。
人との関係は、自分としてはケアする必要もある、けど、他人がこの関係をどう育てようかとするのかは他人の問題でしょうがない。
自分がどうしたいのか、自分のカードは持つ。
自分がどういう人間でありたいのだけは選ぶことはできるっつーのは、強迫観念として持ったらつらいけど、と、最近、物事の本質とは何かって気になってるっすが。
その人との関係との本質とは、で、何をその人に望むのか、局面によって変わっていくのが健全ぽくも思うし、変わらない本質ってあるのか?
(追記)
以前読んで面白くなかった本が面白くなる現象、人生を経て自分は変わる。
何かの本質があったとして、受けての自分が変わっていくので、感じられるものは変わって、永久に変わらないものはないのではないか。
変わらないとは何だろうというか、自分、生きるより大切な思想って何か、じっと考えて答えが出ない日本教です(?)
自由平等のために死ねるのか