朝理論

仕事でとちりまして、こんな失敗普通はしないわな、と落ち込んでおります。

なんだろ、元同僚ズは、仕事で死にたくなるようなことはないと言って、新鮮だった秋津君、尊厳かかってます。

嫌われたくないのかなー

いざ受けれてもらえなくても、しょうがないか、でじたばたはしないと思うんすがというか、小野不由美ゴーストハントの主人公つか、落ち込んでも浮上するとは思うかなー

というわけで、別に悟り系でもないかな。

心の中を覗き込んだら、悲しみを飲み込んだ感じ、孤独を認めた感じはするんすが。理解されること、分かち合うことを期待していない。

あ、でも、普段頼りにされている人が、予算ファイルを持ったまま忘れていて、課内で探し回ったり、誰だって変なミスはするか、自分を特別扱いするのもなって感じですな。



条件付きの愛は子供の愛か、考えていて、条件付きというか、理想でなければ拒否するのが子供の愛って感じかなー

人ってもんは都合の悪いこともして、良いこともする。

その割合のバランスをどこまで許容できるか?

と、自分の悪い部分も見てもらいたいのか、無視してもらいたいのか人には2種類あると書いた漫画家がおりましたが。

無条件の愛を期待するなら、悪い部分も認めてもらいたいし、克己心があるなら無視、受けれてもらえないのを常態とするか、と断言してよいのやら?

何つーか、他人と生活するうえでは、一言チクチク言われてもうざいし、受け入れてもらいたいとなるかなー

僕の場合は、相手にあんまり要求もしていない、雰囲気悪くなって、いざ大事なことを頼むとき、聞いてくれないやん、と、です。

人をモノとしてみる、って何となーく考えているんですけど、自分との関係でしか相手を認めない、相手の人格、自分にとって都合の悪い相手の人格を否定しにかかるの反対って、母の愛だろうか?

いや、相手は否定しない、でも遠くで幸せになってと願って、距離を置くのが大人の付き合いだよねー

単に秋津君は相手を否定の目で見るのがちょっと苦手なだけかな。

ほら、相手を非難しようとすると、自分も多分相手から見たらそれ以上の欠点のあるダメ人間じゃんとブーメランすると、許しちゃおって感じになるよなー

相手を否定したら、自分の否定になるって借金玉理論か?

うーん、こうじゃないといけないことが多分意識してはない秋津君は、自分に対しても理想がないのであまあまで自尊心があるといえるか(人に聞いたってわかるわけないが)

世はなべてこともなしって、たぶん小さな人間がドタバタしたって、千年後には誰も覚えていない、たいしたことないのを思い煩うのもばからしい。好きなことしよ。

って朝の澄み切った空気で気分転換理論の理屈か?

自分の無力さを感じるって、それが当たり前だと思っときゃ、願いが叶えばラッキーで期待せずにストレス小さめかなー

僕、結果を出す重圧につぶれるタイプなので、結果を出すのにコミットしすぎるのはつらいのよねーという単純な理屈でもあるんすが。


と、前回のブログを見直して、ぼかー小学校時代まで学級委員やっていたし、正義押し付けキャラだったす、たぶん、と心根のところで変わっていないと思うか、

なんでリバタリアン風味になったのか不思議なって、小学校転勤していじめられたからだけど。

(秋津君もどの状況で会うかによって、人からの見え方がいろいろ変わるキャラだと思ってますというか、いざというときの自分を信頼していない)

他人に対する愛と自己愛と何が違うのか、他人を愛するってどういうことか、人に対する信頼がなければ、愛することもできないようにも思いつつ、続く?