つじつまの合う生き方
パプリコさんだったかアドバイス聞かない女子には言わせたく思っていることをそのままオウムいうけど、友達ではなくなる。
友達とは何ぞや。気の合う奇跡的な一瞬か。
機能集団か共同体かとは山本七平だったか宮台先生だったか、なんとなく集まるのと目的を持って集まるのと、
もう一つ僕が気になるのは、集団に所属することが選べるのか、選べないのかという視点です。
さて、気になるお題だから選んだんだが、すでに公には答えの出ている問題のような、しかしなんか振ってみる。
自分が好きなことだけを言ってくれる人はいない。ズレがある。
てか独身の友達とあったら、退屈していました。結婚としたときプラスになるからする、と思っていたら、悪いこともあるしな、踏み切れない感じである。
このへん内田のたっつんがなんか書いていたような、ベントさん曰く、子供を持つことを喜ぶ人間としての本能、のような。
やってみて嫌だったらやめたらいいやんというか、嫌なことがあるので避けとこうというか。
と、
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読んでいたら、抜けられない、抜けることを考えることができない、大きなメリットをもたらす集団ぽくもあって、
結婚も抜けられないと思われるデメリットがメリットを呼び込むような、敷居の高さになっているような。
抜けられない共同体を選ぶのなら失敗もしたくないだろうか?
いや、身近な独身者だと、自分の思うとおりに人が動かないと不貞腐れるので、それだと人と付き合うのも苦しいのも分かるんすが。
こうでないといけない、という思い込みを外す場なんすかね?
自分なりのこだわりが通らないって、こだわりって自分の生き方っすからね。妥協を覚えるのつらい。
海外にワンルームが流行ってるの最近、普通はルームシェアぽいのも聞いたりして、通常状態が人と合わせるので、個人的なことを大事にする場も必要なのか、通常が我儘なので人と合わせるのがたまにで楽しいのか。
あと、求められるのと追いかけるのとどっちがいいか問題もありそうな気もするけど。
人からどうしてもって乞われたら、ま、いっかと思えるっぽいのとでいうと、きっかけがない。
というか、自分からひざを折ったら自分が譲る成分が大目ともなれば、なかなか折りづらい。
譲る楽しさを知らないとか。
相手が大切でないと譲る楽しさもない?
相手の相談(ぐち)をただ聞くのはつらい友達か?
相手が大切かって何で決まるのか?贈与の交換かな?過去の積み重ねか何故かワクワクするのか?
相手に気を使いすぎると嫌になるか?相手に譲りもするけど、たまにはありのまま本音で(?)でいられるか?
あんまり負担が大きいと関係を続ける気にもなれないが、共同体というか、家族というか、どんなことをしても見捨てられない関係を考えてしまう。
昔を書いた小説だと一家の困ったおじさん?
どうなんだろ?全く許せない人がいない付き合いばかりでそれってどうよって気持ちがある。
私が幸せな環境にいると思ったら、しようのない人と付き合っても、私全体の付き合いがプラスが多少減っても気にならないだろう。
というか、自分の気に入った人としか付き合わないって、なんか息苦しくも感じる。
人の在り方はこうでないといけない感が。潔癖でつらい。
いや、転職希望の一番理由が人付き合いでつらいからなら、苦しい関係が一か所はあるとしたもんだろうけど、他で幸せならつじつまは合わせられそうな。
機能集団ばかりでも息苦しそうなら、ヨーロッパなら教会、アメリカなら家族と、開かれた場所はあって、さて、自分はどこに引っかかろうか、ってな問題でもありそうっすね。
贈与する場というか、贈与をどうとらえるか?