翔太と猫のインサイトの夏休み
翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)
- 作者: 永井均
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/08/01
- メディア: 文庫
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病気で廃人になる可能性も高い(死ぬとか、と言いつつ、もう長い間再発していないので、ひどすぎることにはならないだろうと医者には言われたけど想像の範囲としては)、
私にとって最大のテーマは、仕事しなくなっても、社会と縁が切れても生きていて楽しいのか、楽しくなる理屈を探そう、であります。
永井先生、さらっと、それでも生きる価値があると(語句は違うけど)言ったような、これはやることから流れた結論だから、やることあっての結論か、いや、流れただけで、やることとは別に結論は結論として成り立つのか、とか、
8回ぐらい読み返さないと文の流れの分析がー(と言うわけで今日の感想は諦めた)
というか、ベントさんの文もこれはと思うのは1時間弱とかジーと読んでたりもする。
日本語で書かれても、文を文のまま理解するって難しいっすよね。
この本は、考えるためのたたき台で、永井先生の意見を押し付けるために書かれた本でない。
(なお、秋津君のブログも個人的に楽しんでいるだけで、自分の真理は追い求めるけど、他人様がどう思うかは、何かの補助線になればいいんだけどね、ぐらいです)
永井先生も第二章がいまだ形になるまえの切れ端で授業で展開しているっぽくもあり、しかし私は第二章の展開はあんまり興味はないけど、ここは気になるという論点がいくつかある。
私は性格診断で、人に相談するか否かが、自分で決断する人かどうかに結びつくのはおかしいと思う派である。
他人に相談すると、私の考えが及ばない論点が、私にとって価値あることだけど、見落とした点の指摘があると思うので、相談するの、大事っすよねー
でも他人に振り回されて、意見を変えるわけじゃないっすよっぽく。
それでいうと、この本は、生まれ変わったっぽい論点の提出は、あるような、鱗が落ちるていどのような、新しい私になれたってな感じでもなんだけど、
それでも、えーそこ、そーいっちゃうの、でそれはどーなんだろ、と考えるきっかけは与えてもらって、なんだかちょっと嬉しかったので、★4つ半か★5つか迷うところだけど、
おめー意見は違うけど気になる他人っすね、と嬉しかったので5つにしてしまったのでした。
生まれ変わるきっかけを与えてもらった、と言えるかは、ここから続く、考えの種の展開次第ってなところでもありますが。
うん、こういう考えることって、理屈では分かるけど納得はいかない、と往々にあって、私はどうなんだろう?
神谷美恵子の、それでも生きる価値はあるか、には納得しなかったんだけど、これはありにするか。
私はありにするか。いや、永井先生は生きるに意味はないって断言したけど、私は私にとって大事なものを人生で抱えるか、大事なものは意味になるとは思うんすけど、
その大事なものは叶うものだから、私にとって良きものだから大事なのか、
「仕事と人生で成功するために本当に必要なこと」とか「40代から仕事で巻き返す技術」とかブックオフで買って、目標を立てないと、理想に近づかないと、惨めな老後が待ってるぜっぽくもある。
この場合の惨めなって、私が私に誇りを持てないこと、と私は変換してしまうんだけど、うーん自尊心になってしまうか。
何で自分を誇りに思うのか、世間的に失敗してそれでもえーやんとおもうんですよ。
ベントさんは幸せになるのが人生の目的ではないっぽくもあって?、私にとって大事な理想は、理想世界が現実になるから尊いのか、
ああ、ペトロニウスさんはFateの心の持ち方を誇りに思うセイバーや衛宮の生き方と書いていたのか?
前回の内心(の自由)とも関わるんだが、結論でなくて過程を評価する生き方になってしまうか?
外の世界と中の世界が調和することはないか。
理想が現実になることはない。でも理想に敗れても惨めにならないとはどういうことなんだろう。
いや、期待しなければがっかりすることもないんス。
自分なりにベストを尽くしたと思えることを課しているか。
他の在り方はなかったと思うこと。
人知に限りある人は結果を予測するのは無理なら、私の思うように生きること。
って、なんか若い、、、
人生は自分で選んだと思わなければ、納得しなければ自分の人生にならないのかって僕のテーマなんすが