愛に似たもの(その2)

「犬死気違ひ」で死んだ死者はすべて肯定されるのである。死に向けて、「犬死」と判断を下す大義はもはやない。死の尊さだけが愕然と起立する。そして死が尊いのであれば、死者は尊く、死者の国は尊いのである。

https://cakes.mu/posts/13432

死から大義をとって、でも尊い論理がやっと分かったような。さて、自分はそれとは違う組み立ては、まだできそうにないな♪

意味とはなんだろう?僕が僕である場所とはなんだろう?

昨日の夜のfinalventさんのツイートを見ていて、僕が相方を好きな理由を考えた。

相方は僕のことを「本当に」好きなのか、ちょっと疑問符がないわけでもなく。

でも、相方が僕を好きだから僕は相方が好き、というわけでもないよ、もちろん♪

僕は大学受験に成功しようがしまいが、今と変わった人生があるわけでもなく、と思っていたら、相方さんは多分相方さんではなかった。

で、病気にならなかった僕は、多分、居間とは違う僕だったという確信はあるにしろ、不条理に突き当たるのが遅いか早いかだけで僕は僕であっただろうか。

一期一会って不思議な気がする。

僕を通り過ぎる人、というか転勤族の僕のスタイルは基本それで、僕と人生を共にする人の不思議である。

僕が関心のある人、僕に関心のある人。その人でなければいけないこと。

僕を好きかどうかわからないけど、僕を好きだと誤解させてくれた優しさのために、僕は君のために死んでやる、と、僕はまだ幼い。

僕の、僕をモノとして見るんでなく、君の気にくわない僕を受容してくれたから、と言えば、母幻想になってしまうだろう。

母幻想の何が悪いのか、か、許すことは、誰にとって重要なことであるのか。

なんだかんだで、僕は人を伺うし、伺わないここではないどこか、を夢見ているのか。

僕って悪いことはできないからさーとは思っているけど、合わせて苦痛ということもないけど。

貞女への道 (河出文庫)

貞女への道 (河出文庫)

恋をすれば、人(男でも)はお母さんになる、だったけな。


人に好かれないかと思っているかと言えば、母の愛があり、僕の母の愛は、無償のもので、好意とは無償のものであると学習している。

ある人が僕にどんな仕打ちをするのかと、僕がどんな生き方をしたいかと思うのは別のもんである。

なんか最近、「黄昏の岸 暁の天」で、王が自分を認めてくれなかったのでクーデターを起こす人が重い。

自分に愛を与えてくれる人がいないから、愛を与えないのかというと、愛って与えられて始めて返すものでもなかろうという感じである。

自分が愛されないことに確信がある。自分が相手が命を投げ出すほど尊い人物かっつーかというとそうでもなし。

うーん、それなりの人物にはそれなりって、相方を貶めることになるなー

コートさんは自分にはもったいない相手と思っていれば、怒りもしないと言っていたような。

幸せだった記憶が僕の命を投げ出すことに躊躇しなくなるのか、の積み重ねか。

僕は好意っていうのは、相手が今までの実績から鑑みられる今後の行動をより相手の都合の良いように(自分の不都合を被って)解釈、相手を自由にさせること、だと思う(?)

それって最初は損害を小さく、でも、だんだん信頼を積み重ねていったら、大きくしていくもんで、橋本治(宗教なんて怖くない)で、最初から心友を目指すのは間違いっぽくもあった。

僕の弱点は親しくなるのに時間がかかることだったりはするのだが、誰彼かまわず、小さくリスクをとって(相手に賭けて、って人を信頼することかな?)、それを返してもらえる経験(が多いよね、たいしたことがなければわざわざ踏み倒そうとも思わない)、

大きな声で挨拶から始めて、3回も声をかけると返してくれるようになる。

それは愛に似たもの、人を信頼して、愛を返してもらう、世界が自分を拒否していないこと、と同値になると思うんすが。

GIVEの5乗で、収支に目の色を変えすぎていても、ママ、向こうが返してくれることもたまにはあるだろうから考えなく、

小さな愛をばらまいていたら、年は食うもんで、あっちはまだ親しくないので小さく、でもあっちは大きめになって、あっちは育ったと思ったけど小さくなって、さまざまな大きさの愛に取り囲まれると思うんすがね(?)

あっちこっちで返してもらったら、そっちでは返してもらわなくても、まいっか、と相殺してもまだプラスに持って行けるポートフェリオである。

自分の環境が恵まれているかな、とは思うけど。

返してもらえそうな小さいところで積み重ねていくっつーのは、できないんかなー

愛される自信になると思うんすが。

返す量が大きくなると無二の存在になっていくっすかね?