環境と性格
宮台先生が、非常時に頼りになる本物の人は信頼するっぽいことを書いていたような、しかし僕は非常時は非常時と言うか、非常時だって持ちこたえるかどうかなんて分からない。
揺れて、いつでも高潔でいられる(?)とは限らないんでないのかと思ったりもする。
ゆりちゃんが、「排除する」と言わなかったら、宰相の目もあったんでないかとかいう記事を見た。
等価交換が成り立つほど、世の中がきれいであるとは思わない。
しかし、何と何との交換が妥当か考えて、中途半端に欲を出せば、あったと思ったものさえ失う場面はあると思う。
僕が守りに強いというのは、守りに入ったら、守るのは最終防衛ライン一点のみで、それさえ叶えば合格っぽい切り方をして満足度が高いというのもあると思う。
当然にあると思っていたものは失ったら痛い。
僕の場合、余生と言うほどには悟ってないけど、当たり前が病気で死ぬことで、それに比べたら現状天国だろ、と不幸に対する耐性がたかそーな気もする。
失うことを恐れすぎていたら、冒険が出来なくて、リスクを取らなければリターンもないというか、安心なものはものすごく高い代償を払う羽目になると思っている。
(レジデンス大手前〜いやいいけど)
それはともかく、僕んち、結婚してからプリウス余裕で変える金は貯金できている。
(僕が知る最も高い車の値段がプリウスなのである。盛ったか♪)
相方はかわゆいのである。幸せだよなー
そんな僕が、
でも、大事な人ができたと思えた、永劫回帰しても良いと思えた過去があったら、後がひどくなっても、一瞬でも夢見れた人生をくれてありがとう、と思えて、人生の受け入れができるのか。
幸せを失って(非常時になって)、どういう気持ちになるかなんて断言できるわけないよなー
人生、予期しないことが起こる、怖れと言うのは持っておきたいっす。
当たり前の前提に欲がないので、当たり前に戻ると言えば戻るだけっすが。
最終防衛ラインの一点って何だろうと来ると、押井守の人生の目的は一つだけ定めるを思い出すが。
山本さんのオンラインの文章を思い出しつつ、世代交代で夢を託せるということであろうか(ちょっと違う?)
私は不幸になっても、幸せな姿を喜べる人がいたら人生豊かになるかなー(未だ考え中です)
犬は飼いたいかなー
finalventさんの自分に依存する誰かがいたら、生きる意味ができるというのも引っかかってるけど。
依存するというか、(幸せを喜べる誰かとの)関係と言うか。
橋本治の「89’」が重いなー
関係について全く思考が進まないんだけど。
って理由も大体わかっていて(?)僕、関係言う割に、他人に対して興味ないんだわ。
自分が受け入れられた欲求は当然あるけど、休日、友達と遊ぶ時間が全く作れなくて、気にならない。
田舎に暮らして大丈夫な人って、スーパー8時に閉まるところにいたけど、ネット(と本)さえあれば全くもって大丈夫なのであった。
KKPMさんは高知では買い物できないって言ってたけど、何を買うの?欲しいものって本だけだし、みたいなー
いつでももてると考えて(選択肢があると思えて)持たないのと、持つ希望があって持てないのは違うだろうけどな。
「諦念」とは「道理を悟って迷わない心」か。
道理というか希望がない現状を当たり前だと思えたら、不満もないかなと言うか、あれ、結論、深まってないよ。
割り切りができないが当然で、苦しむのが人生だと思っている節の秋津君でした。(しかし現在幸せなので、あとでしっぺ返しっす
なんつーの、中年の障害者の子供と公園を散歩する老人夫婦の気持ちなんて、分かるって断言できるわけないというか、
https://beauty.yahoo.co.jp/lifestyle/articles/781006 NHKの発達障害プロジェクトを見た発達障害児持ちのお母さん、でもあるんすけど)
(と言うか、題と違うのは、題名其の2ですかな、次は。執着するとは)