期待はしないが望みはする
種と言うには育っていない、ひっくり返しが見えていないけど、本日のネタは「当たり前なこと」です。
コートさんが、結婚して嫌なことがあっても、パートナーが自分にはもったいない人だと思っていればケンカも起こらないとか、
子どもがなんかしても、生まれたときの気持ちを思い出したら流せる、ぽく書いていたような、
判断の基準、前提、当たり前だと思っていること、で、その後の行動変わっちゃうよね。
当たり前にあると思っていたら執着もなくて、珍しいと言われたら必要ないけど購買意欲を誘う。
滅多にない感、プレミアム感。
僕はお金もある一定以上は必要でないのかと言うか、お金のために差し出せるものはどの程度か、と言うのも気になっている。
自分の価値観、人の価値観、地位がない人が地位を求めず、アニオタを追及するのは、酸っぱい葡萄で憐れみを誘うのか。
ニッチを追及するのもありだけど、稼ぎがないと哀れなのかって
100mを捨てハードルに転向する惨めさを感じたこととか。
世間的な価値観を体現できない割り切りって、ホンマに可能性がなくなるのはつらいというか、
何をアイデンティティとするか、か?
現状はつらい、それを受け入れるのか拒否るのか、受け入れても拒否って改善を模索するのか。
不満を持つことのなる当たり前と思うことは何なんだろう。
私は不満を持ちたくない、ようです。拒否感がある。
不満を持たない状態とはどういうことだろう。
現状が理想と違って不満を持たない。
あってほしい願望水準?と、こんなもんだろうかの期待水準?の切り分けかな?
前提、夢、目標、予期されること。
自分を正しく評価するのではない、環境を絶対視せず、現状を肯定しつつ、変わる道を模索する根性とは?
夢の実現にゴールを置くと、達成されないとつらい。
試行錯誤するのが楽しい。
「なる」のは王と乞食、「する」ことが楽しい。
自分で変えること、変わらないことの見極めは神様しかわからない。
人間、空も飛べるんだぜ。
意思の問題か。「する」ことができない、選択肢がないと思えば息苦しい。
当たり前のものがなければ息苦しいが、今、ないのならそれは当たり前でないという切り替えと、自分が苦しくない程度にそれを求めること。
余裕がないと派か、僕は。遊びの部分。
あってほしいの願望を大きく、絶対叶うと期待せずに、飄々とするのが理想ぽいです。
したら、現状に満足して不満はないけど、もしかしたらの色気で楽しい気分になる。
自分が望みすぎてつらくならない程度に努力して、ワクワクを追及する。
お金を得る努力の代償はつらくならない程度まで、の交換条件です?どーなんでしょ?
いや、苦労のない人生なんてないけど、自分の幅を広げるには自分が気にくわない価値観を飲み込んで(本を読んで)順応するのも大事なんだけど